十七
翌朝、太陽は雲間にいて、夜が明けても薄ぼんやりとした輪郭があるだけだった。境の曖昧な世界に溶け込んでいつまでも覚めない夢の中にいるような気分にさせてくれる。
窓から外を眺めると、雪が降り続き、街は白い。さいわい雪の舗装は大したことがない。馬車の轍や足跡が黒い模様を付けている。
身支度をして、伯母に挨拶し、食堂に顔を出した。
「ご機嫌よう」
「お早う」
朝食の支度をしている当番のお針子とマリー゠アンヌがいる。
「支度を手伝おう」
「有難う。お使いだてしてごめんなさいね。厨房にベルナデットがいるから、スープの鍋をお願いします」
遠慮なしに言いつけるマリー゠アンヌの親しさを快く感じている自分がいる。厨房に行けばベルナデットが盛り付けをしている。出来上がった料理は大皿でいいか、銘々に小分けか、訊きながら、手分けして配膳した。
「陸軍の大尉さんに給仕してもらうなんて、偉くなった気分になれるわ」
お針子の一人から軽口が飛び出して、ご婦人の為ならと返した。沢山の鈴が転がるような笑い声。慣れというより馴れを感じて、これ以上うるさくしないでくれと内心思う。ラ・ヴァリエール家の面々は、お針子たちと一緒になって騒がない。雇用主と被雇用者と、一線を引いている面もあるのだろうが、嗜みがあって好ましい。
食後のお茶を終え、名残りが尽きないが、『ティユル』を出た。
「公現祭には来れるのよね?」
「明後日だろう? 勿論こちらにお邪魔する」
「王様のケーキを準備して待っているわ」
ここのところ清らかに過している分、別れの切なさが増して辛い。どうして彼の女と離れていられるのか、寒いのならいつまでも二人で温め合っていればいい。俺は彼の女の肌の温もりと滑らかに馴染む柔らかさを知っている。彼の女もまた同様に求めているだろう。
「公現祭の次は、ブローニュでもどこでも、その後俺の所に来てくれるか?」
ベルナデットは接吻でその気持ちを示した。
朝に心なごみ、冷気で身も心も引き締まっても、それは一日持続するようにできていないらしい。午後からはゴルツ大使との打ち合わせとラ・パイーヴァの屋敷への訪問だ。
「セーヌ川が凍るのは二十年振りだそうだ」
大使館の職員たちまで冬の寒さの話で盛り上がっている。
「川が凍って船の行き来ができなくなって不都合が出るのを知るのだから、冬に港が使い物にならなくなるロシアの願望が察せられる」
市井とここでは会話の内容が違うと実感する。
「昨日はセーヌ川に行って、様子を見てきました。余程分厚く氷が張ったのか、スケートやそりで巴里市民は遊んでいました」
それは楽しかっただろう、とゴルツ大使が返した。
「ラ・パイーヴァは何かと貴婦人方と張り合おうとするが、フランス皇妃のようにスケートができるかは知らない」
俺も知らない。だが、スケートの経験がないなら無茶はしないだろう。ラ・パイーヴァは俺より二十は年上のはずだし、いつも多くの宝飾品を身に着けている。屋外ではたちまち冷えるだろうし、滑って転んで怪我をしたら長引くお年だ。スケートでスカートの裾を乱すのにも高級娼婦の作為があるのだろうか、ふと想像してしまった。