十六
刃無しの冬靴でも滑りそうになりながらご婦人を守るのはなかなか筋力を使う。こちらが慎重にしていても、ルイーズはスケート靴に慣れようとするのに精一杯、ベルナデットも気を付けているようだが、それでも時々足元が滑る。バランスを取って自力で持ち直してくれるが、俺は手を伸ばし掛け、それで重心が移動して転びそうになる。繰り返す何回かのうち、三人揃ってひっくり返った。笑うしかない。
セーヌ川の上を歩き回り、女性を助け起こして、充分な運動になった。ふと立ち止まるといつの間にかかいた汗が身の内を冷やすのに気付く。このまま外にいて汗は自然に乾くまい。巧みに滑り、刃で氷上に絵や文字を描いて見せる伊達者などいて、歓声を上げる女性や子供の声が聞こえてくる。見物したいのはやまやまだが、早めに切り上げた方がよい。
「上手な人を見てお手本にするのにも、まともに進めるようにならないダメみたい」
とルイーズは飽きたようだし、俺は帰りを促した。
「そろそろ終わりにしよう」
「そうね。わたしたちは靴を履き替えずにいるんだから」
ベルナデットは同意してくれた。
「機会があったらブローニュの森でパティナージュできるといいわね」
池の氷が融けないうちにブローニュに出掛ける機会があればいいが。
「楽しいことはまた改めて考えよう。まずはルイーズに靴を履き替えてもらって、『ティユル』に帰ろう。晴れていたのに曇ってきた」
太陽が雲に隠れて、灰色の空で白い点になった。
雲に隠れたまま、その日は眩しさを取り戻すことなく、暮れた。『ティユル』で夕飯の準備を始める頃には、雪が降り始めた。
伯母は窓から外を見遣りつつ、心配そうに告げた。
「今日は冷えると思ったら雪ですよ。オスカー、今日は泊っていったらいいわ」
「いえ、明日もいつも通り店を開けるのでしょう? ご迷惑では?」
「構わないわよ。明朝ここから出たって大丈夫ではないの? オスカーは明日早いのかしら?」
明日はゴルツ大使とラ・パイーヴァの屋敷へ赴く予定で、午前中は時間に余裕がある。ここを出てから寄宿先に戻って、ゆっくり身支度しても充分間に合う。
「急に悪いかと」
「この家であなたが遠慮する必要はありません」
やさしく微笑むマリー゠フランソワーズの好意を無にしたくないし、外は寒い。
「お言葉に甘えて、お願いします」
かじかんで固まった手が柔らかさを取り戻していく温かい心遣い。ほっと安らう心地よい場所だ。
一家とお針子たちと夕飯を共にして、宛がわれた部屋で休んだ。ベルナデットが俺の部屋の準備をして、ストーブを焚いてくれた。
「今日は寒かった」
「特別冷え込んでいるわ。連れ回しちゃって悪かったわ」
「今度はあなたが俺の家に遊びに来るか?」
「それがいいわね。その時まで、一緒に休むのはやめましょう」
お休みなさいの接吻をして、ベルナデットは下がった。部屋も寝床も暖まっているのに、横になると、しんとした冷えが爪先に染み込む。毛布をきちんと被っていても肩の隙間が恨めしい。
風邪でも引いただろうか。
不安がよぎる。
体調を崩している暇はないし、きちんと休養しているつもりだ。セーヌ川が全面凍り付くなど、伯母も若い頃に一回あったかどうかの珍しい出来事と言っていた。それくらいの寒波が来ているのだ。珍事にはしゃいで子どもみたいに風邪を引く者もきっと大勢いるに違いない。
ここでまた迷惑を重ねられない。きちんと睡眠をとれば、明朝は元気に目覚められる。あれこれ気を回さず、明日は明日。今晩は何も考えず、目を閉じよう。




