十三
「ベルナデットはパティナージュ用の靴を持っているのか?」
貰い物のお古がある、とベルナデットは肯いた。持っているだけだけど、と付け加えた。
「ルイーズは?」
と付いてきたがっているので訊いてみた。
「持っていないわ。でも氷の上がつるつるなら、ただの靴でも滑るもの」
刃のあるスケート靴と普通の靴では全く違うぞ。無邪気な子供の遊びのうちはわざわざスケート靴を準備したりしないか。
「お兄さんはパティナージュをしたことがあるの?」
「子どもの頃に少しだけ。長いことしていないな」
十になる前に、冬に閉じこもりがちになるのに退屈し、雪上と違って自由に走り回れると乳母に言われて、何回か氷上で遊んだ。面白かったのは覚えているが、骨を覚えてからも転んでばかりで、あざや打ち身が痛くて夜眠れなくなった。何事もほどほどが大切だと寒さと共に身に染みた。やれと言われればできるだろうが、氷上や雪上の移動はそりが効率的で安全だと、ひねくれてしまう。スケート靴のブレードに体重を掛けてきちんと立ち、足を交互に出す動作、上手くできるだろうか。恰好を付けている余裕はないだろう。
「まず、アルマ橋のところまで行ってみましょう。橋から様子を見て、降りられそうなら降りてみましょうよ。あそこら辺なら岸が広いわ」
すっかり出掛ける気になっている。俺に体を温める暇を与る気は無いらしい。
「外は寒かったのでしょうに」
と流石に伯母は気遣ってくれた。
「いえ、お仕事の邪魔になるといけませんから、まずセーヌのアルマ橋まで行ってきますよ」
熱いお茶を一杯いただいて、体の中を温めた。ベルナデットとルイーズが外出の支度をして降りてきた。スケート靴をルイーズが持っている。
「セーヌでパティナージュができる時は、貸してくれるって」
と朗らかに告げた。
「見物だけでいいのかい?」
ベルナデットに尋ねてみた。
「いいえ、ルイーズが飽きたら交替するつもり。それにパティナージュ用の靴じゃなくても氷の上を歩けるし」
「転んでも助け起こしてやらないぞ」
「あなたも転んじゃうものね」
ベルナデットが茶目っ気を見せた。小憎らしいことを言ってくれる。
「実は名人級の腕前なのか?」
「真逆。そこはご心配なく。靴紐を結べるくらいしかできないわ」
遊びに行くのに上手下手を気にしていたら何もできない。冬には冬の娯楽がある、寒さで縮こまっていても仕方がない。彼の女なりに季節の風物詩の見学を楽しもうと誘ってくれている。俺だって楽しもうじゃないか。耳がちぎれそうになっても、繋ぐ手と手が熱ければ、血は凍えずに循環する。
刃の付いた靴は重いだろうに、ルイーズは気にならないように抱えて、先走る心を抑え切れずに歩調が速い。俺とベルナデットは後ろ姿を眺め、後を追った。
「なんだかいつもあの子と一緒のお出掛けになっちゃうわね」
「ルイーズは伯母からベルナデットのお目付け役を言いつかっているんじゃないのか?」
「今更?」
「さあ? お目付けでなければ何なんだ? 気前のいいお兄さんと思われているのか?」
「その可能性もあるわね」
ううむ、それは考え物だ。物を惜しむ気は無いが、ルイーズの気性を損ねるのはよくない。
「洋裁店の仕事が好きなら、衣装の着こなしや様々な意匠があるのを知る機会だとグランドホテルに連れて行きもしたが、浮ついた気分にしただけなら申し訳ない」
大丈夫よ、とベルナデットは言い切った。
「あの子の性分は判ってます。今まで家族は女ばかりだったでしょう? だからあなたといたいのよ」
俺に預ける腕は温かく、見上げる青い瞳は優しい説得力を持っている。ルイーズは形だけの呼び方でなく、俺を兄と慕ってくれるか。
「とんだ恋敵」
二人きりになるのを邪魔してくれるのだから。




