十二
テュイルリー宮から駐仏プロイセン大使のご一行が大使館に戻ればひとまずの仕事はお終い。大使館の中でのお祝い気分は続いていて、文官連中はいつまでもだらだらとしている。俺は顔だけ出してすぐに部屋に入った。気力も体力も無限ではない。決戦を控えていようがいまいが、戦場にいるなら休息は仕事のうち。ましてや季節はまだまだ春には程遠い、熊だのなんだのからかわれようが消耗を避けるのが知恵というもの。毛布を被って目を閉じる。そうすれば憂き世を忘れて、夢の中でささくれは艶やかに、楽しくもないのに偽った穏やかさは少しずつでも本物になっていく。
次の朝も晴天に恵まれた。一月二日は平常の日だが、俺にこれといった予定はない。顔や首筋に冬の空気を感じ、寝床の温かさから抜け出す勇気がないまま、うつらうつらしていた。それでもなんとかまだ朝と呼べる時間帯のうちに起きた。大使館の中ではいつもの通りに人員が動き回る気配がする。朝食を摂り、寄宿先に戻る前に挨拶をした。
「明日の宮廷行事は出ないのだったね」
ゴルツ大使やシュタインベルガー大佐から確認を受け、それは何回目の問い掛けだと腹の中の苦笑いを隠しつつ答えた。
「ええ、明後日はご一緒にいたします。月曜日の公現祭はまた休みます」
「新年早々、行事は多々ある。では気を付けて」
泊まりの荷物を持って、大使館を出た。宴会や祝賀会での衣服を詰め込んでいるから、かさばる。寄宿先に着いたら、真っ先に衣服を吊るして、汚れや皺がないかと点検だ。
星の輝く夜から日の出まで、冬の晴れは凍えるほどだが、日が高く昇れば、陽光は有難い恵みだ。日差しを受ける頬が温められ、強張りが除かれる。血が淀みなく循環していく。
部屋のカーテンを開け、太陽の恵みを取り入れる。陽が沈んでも温かさが残ってくれないか。夏は暗くなっても大気は暑さを逃さないのに、冬はお天道様が傾き始めるとあっという間に暗く冷たい。
願わくば明日も良い天気であってくれ。明日はベルナデットに会いに行く。
明け方、目が覚めた。朝が近いからというより、寒いから眠っていられないといった方が正しいかも知れない。寝床から出るのに寒中の川に飛び込む気分にさせられる。全く情けない。冬の厳しさにへこたれるとは、ゲルマニアの女神に笑われてしまうではないか。寒いのなら『ティユル』で火にあたらせてもらえばいい。俺が来るなら仕事を休むとベルナデットは待っている。今日は金曜日でいつもの営業日だ。商売の担い手を一人抜けさせてしまうが、店の皆は、予約がないし、降誕祭まで大忙しだったからしばらくは開店休業だからなんて優しい言葉を掛けてくれた。そうまでされて、凍えてしまうから行かないなんて弱音を吐けるか。
雪中行軍を思い出しつつ、見苦しくない程度に防寒の装備を整えた。これくらいならまだ伊達者の部類に入るだろうか。毛皮の裏打ちの付いた外套を纏い、彼の女の許に向かった。
「ご機嫌よう、マ・シェリ。風邪をひいていないかい?」
「こんにちは、モン・シェリ。おお、あなたの顔の冷たいこと」
二言目に寒いと誰もが口にする。伯母もマリー゠アンヌも、頬を真っ赤にしたルイーズも同様だ。
この休みはベルナデットの部屋か側のシャン゠ゼリゼ大通りの店を覗いて過すかと思っていたのだが、ベルナデットは予想もしなかったことを願い出た。
「ブローニュの森に行ってみたいわ。パティナージュを見物したいし、わたしもしてみたい」
「え? パティナージュ?」
この朝は冷え込んで、セーヌ川さえ凍り付いていた。スケートは氷上の遊びだから、当然この季節にしかできないのだが、身が切られるような気温の中に出たいと願うのか? それともこれはベルナデットから何か試みをされているのだろうか?
「あら、ジャンヌがセーヌ川でもパティナージュができるくらい分厚く氷が張ったって言っていたから、ブローニュまで行かなくてもいいかも知れないわよ」
通いのお針子の名前を出して、マリー゠アンヌが言った。いいわね、面白そう、とベルナデットが肯いた。
「まずセーヌのところまで歩いてみましょうよ」
「見に行くだけならわたしも行きたい」
ルイーズが声を上げた。
これは断れないな。




