十
幾らかは信仰心や神聖さを重んじるかと思っていたが、全くその気配はなく、ラ・パイーヴァの屋敷は相変わらず賑やかで安心した。フォアグラにキャビアは勿論、ポルトガルの葡萄酒やシャンパンの瓶が何本も景気よく栓を抜かれ、七面鳥やら別の種類の鳥やら丸焼きにされた皿が所狭しと並べられている。牡蠣も貝殻で小山ができそうだ。火酒が振りかけられた苺、鮮やかな緑の野菜のサラダボウル。
惜しむことなく焚かれる暖房と人いきれとで、息苦しさを感じる中、酒に飲まれぬように盃を傾ける振りをしながら、参加する人々に挨拶をした。
「素晴らしいですなあ」
「ええ、目が眩むようです」
「ここは宮廷よりもずっと贅沢に過せますよ」
財政に関して、財源が、監査が、と審査され、諸外国の外交筋やら国民から相応しいかと常に晒される宮廷と一緒にしたら逆に失礼だ。プロイセンでも指折りの富豪のヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵が多額の金を注ぐ、巴里の半社交界に君臨したラ・パイーヴァの開く宴会だ。どこよりも華やかに、豪華でなくては彼の女は満足しない。
「皆さん、楽しんでいらっしゃるかしら?」
ラ・パイーヴァは多くの宝飾品を身に着けて、文字通り煌めきを放っている。この夜、一夜の為の装いは完璧だ。かつて冷たい美貌と謳われた、その名残ある視線を向けられると、今でもドキリとさせられる。首筋や手に目が行かなければ、ゴルツ大使と同年代と思い出さない。
招待を受けていながら失礼な感想なのかも知れない。
だが、身一つでここまで来たラ・パイーヴァの成功は紛れもない事実。手放しで褒める気にならないが、責め立てる気もない。有力な父親や兄弟もおらず、今まで結婚した男も頼りにならずで、唯一女性が使える力を最大限に利用してきた結果なのだから、大したものだ。そして、十歳上で、生まれも係累も確かでない、多くの男性を翻弄してきた女性にここまで入れ込むことのできるヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵こそ尊敬に値する。ラ・パイーヴァの巴里での仕事が仕事だし、交際するようになってからも多少ほかの男との情事やちょっとした諍いだってあっただろうに、それを水に流したのか、きっちり話を付けたか知らないが、伯爵と俺の父とは度量が全く違う。
母は貴族の娘で、ラ・パイーヴァは庶民の生まれだからと言う者もいるだろうが、父は落ちぶれ貴族の家に多額の援助を申し出て、母を妻にした。父は道楽者ではなかったが、道楽者が金に飽かせて愛人を囲うのと、どこが違う? 女性の意思が尊重されていないのは同じだ。
一人の女性を愛して、相手が自分を愛してくれるか保証はないのに、あれこれと条件を交わして共に暮らす。もし相手が自分と同じ情熱で愛してくれるのなら、これは奇跡なのではなかろうか。父に奇跡は起きなかった。
ラ・パイーヴァがヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵を愛しているのかどうか、俺には読み切れない。
男女の仲は複雑怪奇だ。
山海の珍味と美酒に酔い痴れ、夜が更けると、皆して大きな時計に、或いは懐中時計に注目し、時計の針が午前十二時に近付くと、声に出して過ぎる時間を数え始めた。伸ばした腕を少しずつずらしていくお調子者もいる。
「よいお年を!」
夜の空は何も変わらねど、暦が変わり、新年を祝う。
一応年をまたぐ宴会参加の義務は果たした。今年最初の日の出を見ようと言われないうちに退散しないと、眠る時間を取りそびれる。