九
過ぎてしまうと夢だったのではないかと、信じられないほどあっという間だった。瞬きするほど短く終わったしまった。昼餐までの間、賭け金無しのカード遊びをして盛り上がり、何故か次回来る時にお針子たちにお菓子を差し入れる約束になったり、負けた罰とマリー゠アンヌを抱き上げてみたり、いいように扱われたような気がしないでもないが、浮き立つ気分は嘘ではない。ベルナデットから見送られ、後ろ髪引かれる思いで『ティユル』を後にした。
降誕祭を敬虔に過し、信心を取り戻して清貧を心掛けようと考えを改める仁がいるのかどうかは知らない。少なくとも俺の仕事で知る範囲、降誕祭のお祝いで祈ったからもう充分と元通りになる者ばかりだ。
そもそも外国――どうもロシアが生国らしい――生まれのラ・パイーヴァがどんな宗教環境で育ったか知らない。ゲットーで生まれ育ったという噂からユダヤ教なのか、ポルトガル貴族と形式的な結婚をしたからカトリックなのか、現在の後援者に合わせてプロテスタントなのか、知ろうとは思わない。ユダヤ教徒なら降誕祭を祝わないが、確か新年はユダヤ教でも祝うはずだ。その為なのか、シャン゠ゼリゼ大通りのラ・パイーヴァの屋敷では大晦日から元旦までの年またぎの宴会をするから参加しないかと、声を掛けられた。派手好き、遊び好きの道楽者なら年をまたいでの宴会をするのは珍しくもないのだが、彼の女はどんな趣向を考えているのだろうか。夜更けて時計の前で針の動きに合わせて数を数える、どこでも同じの新年を迎えるのだろうか。
大使館で、ブールヴァールの街角で、大晦日はどこそこで、誰それの家に集まる、宴を催さないが夜通し起きているつもりだと聞こえてくる。
祝祭で昂る心は鎮まりそうにない。
マダム・メイエには帰省や旅行はしないが、外泊する日もあるのでと年末年始の予定を伝え、下宿人として必須の年末の贈り物をした。実用一方では詰まらないだろうと、蜂蜜の瓶のほか、少女が使うような可愛らしい意匠の便箋やカードのセットを渡した。ちょっとした悪戯だったが、どうしてどうして、マダム・メイエはそれこそ年若い女の子のように嬉し気に笑った。
いつまでも稚気を持つのは性別関わりないなあと、新鮮な発見だった。
大晦日、明るいうちに着替えを揃えて持ち、大使館に向かった。ラ・パイーヴァの屋敷で年またぎの集まりに出た後、ゴルツ大使たちとテュイルリー宮での新年祝賀会に出席しなければならない。寄宿先に一々戻るよりも大使館で休息した方が時間の節約になる。(いくらお供の下っ端でも、徹夜で騒いだ格好で宮廷に顔を出す訳にいかない。正装するのに身を清める必要がある)
ヤンセン曹長は相変わらず巴里の名花だの妖婦だの呼ばれた女性と享楽の宴に興味が尽きないらしく、俺が身支度を終えて出掛ける挨拶をしていると、羨ましそうにしている。じゃあ付いてくるかと、言ってみた。曹長は手を振った。
「どんな恰好していったらいいか判りませんから、遠慮しておきます。あのお屋敷に行ったら小官なんて従者用の控室に押し込められて、ご馳走も美人も拝めないんじゃないでしょうか」
「そこまで卑下しなくてもいいだろう」
「実際にお目に掛かってがっかりするよりも、憧れは憧れのままがいいんですよ。ナントカの女王なんて女性を間近に見て、これじゃあお袋さんや近所の看板娘の方が別嬪だったなんて夢が壊れるのは嫌なんで」
あああ、経験があるんだ。それでも女性に対する幻想は捨てられないと。
一理あるな。男は男で女性に幻滅されたくないと隠しておきたい欲望や欠点があることだし。
さて、悪徳の女王の屋敷に行こう。




