二
「大尉、巴里は降誕祭の準備一色です。プロテスタントの教会もあるんですから、お祈りに行けますよ」
俺の提出した報告書を郵送袋に入れつつ、のんびりとヤンセン曹長が言った。
「曹長はまめに教会に行く方かい?」
「いえ、それほどでも。降誕祭はそれなりに敬虔な気持ちになります」
「行く時間を作れればいいがな。カトリックの教会へミサに行こうと誘われるたらどうしたものか」
「浮世の付き合いとは難しいものですね。二十四日の晩餐にお呼ばれしたら、深夜のミサを断れませんよねえ。違う教会で祈ってもきっとお赦しくださいます」
大人の回答をして、ヤンセン曹長は退室した。
巴里はミサに値する。
何にせよ、生きていれば妥協せざるを得ない事柄はあるさ。
夜会や市街での見聞での報告が済んでどっと疲れが出た。今日はもう用事はないはずだ。このまま大使館を出よう。寄宿先の近くで食事を摂って、部屋を暑いくらいに暖めて、寝床でぬくぬくと過したい。ベルナデットに会えていない。彼の女の顔を見たいが、会った途端にくずおれてしまいそうだ。見苦しい真似をしたくないし、何よりベルナデットに心配を掛けたくない。ここはきちんと心身ともに休息するのが一番良いい。『ティユル』に行くのはそれからだ。すべきことはした、厄介事や頼まれ事に捕まえられないうち退勤だ。
「フォン・アレティン、報告作業が終了しましたので、退出します」
ゴルツ大使は、次の夜会ではお供をしてくれる予定だったなと言い、俺の顔を見直した。
「どうかしましたか?」
「いや、もう下がるのならゆっくり休みたまえ。この先新年の祝賀会まで行事が建て込んでいる」
「はい」
余程くたびれた顔をしていたか。あのシュタインベルガー大佐まで、「急ぎの要件がなければまず体力の温存が大切だ」と言ってきて、かえって気味が悪い。そそくさ大使館を出て、辻馬車を拾ってカルチェ・ラタンへ向かった。
学生街に着くと、祝日を待つ浮き立つ足取りとは違う、別の活気を感じ取る。学生や学者、インテリ稼業の人間たちが起居する街は、大言壮語というか、酔っていなくても管を巻いているように見える輩がカフェや定食屋で多く見掛ける。いつぞやのレオン某……、ガンベッタとか言ったかあの変わった風体の弁護士みたいな奴らに絡まれないよう、目立たず栄養を補給して、寄宿先に戻ろう。しっかり食べたいがも重いものを食べたらもたれそうだ。煮込みで良さそうな品があるだろうか。パンやチーズを余分にいただいて、部屋に持っていこう。凝った料理に時間を掛けてじっくり味わうなんて道楽よりも、腹の中を温め、充たすのが大切だ。
飯屋の席に着くと給仕の娘からしげしげと観察された。仕立てのいい服を着ているのに、一日絶食したか、昨晩寝てないかと思われるような様子にでも見えただろうか。
「旦那、ウチの料理は滋養がたっぷりで財布に優しい。たんと食べとくれ」
妙に愛想がいい。
いや、気の所為にしておこう。ここは学生や貧乏学者がよく来る店のはず。店員が明るく気さくに対応してくれるのは場所柄だ。
「おまけしとくからさ、遠慮はなしだよ」
と、卓上用の籠にパンを盛って出してきた。
ここはパン食べ放題と言ってなかったか? まあ、いい、どちらにしても払って、幾らか持って帰る。給仕に見守られながらシチューとパンを平らげた。本当は持ち帰りされたら駄目だけどたっぷり心付けをくれたから今回だけ特別ですよ、と見逃してくれたパンと、別で林檎を一つもらって、勘定を済ませて店を出た。
一瞬でも体が温まるのなら酒を飲むのも悪くないのだが、余計疲れてしまうだろうか。
外気と変わらない寒さの部屋を瞬時に暖められたらどんなにいいだろう。