五
お針子もいれば店にはマリー゠アンヌもいる。二人だけの空間ではない。
「恨み事は幾らでも。まずは皆に挨拶をさせてくれ」
「ええ」
「まずはあなたに」
“Bonjour”とベルナデットの頬に口付けし、同じように俺に接吻を返してくれた。店の側に進み、マリー゠アンヌに挨拶をした。
「こんにちは、お久し振り」
苦さを含んだ微笑が答えた。俺との事情を聞かされているであろうマリー゠アンヌは、二人の問題と口を挟まないつもりらしいが、それでも妹の感情の揺れには無関心でいられないだろう。仕事場の士気にも関わる。
「もうじき店を閉めるから少しお待ちになって」
柔らかくも洋装店経営の邪魔をされたくないしっかりした意思が現れる。店内に客がいようがいまいが、歩道から街行く人々が興味を持って覗き込む、そんな一等地の洒落た店なのだから、態度が悪いだの、店員が客と妙に馴れ馴れしいと見られたら大変だ。
「ええ、判っています。見計らって訪ねたつもりでしたが、早すぎました。先に伯母上にご挨拶してきます。伯母上はお部屋にいらっしゃる?」
「ええ、おります。ルイーズも上にいます」
「無沙汰の詫びに花と手軽なお菓子を持ってきました。上でお渡しします」
肯くマリー゠アンヌにとベルナデットにこちらも肯き返して、勝手知ったるなんとやらで、階段を上った。二階で伯母の部屋の扉を叩くと、「どうぞ」と声がした。とととと、階段を駆け下りてくる音が飛び込んできて驚いた。
「お兄さん、こんにちは!」
「やあ、ルイーズ。ご機嫌よう、元気だったかい?」
足音から誰が来たかと耳を澄ませていたに違いない。冬の気配を纏い始めた秋のものがなしさはルイーズの明るさとは無縁だ。
「ええ、元気よ。お兄さんが今度いつ来るだろうかと、みんなして待ってたんだから」
おばあちゃん、ムシュウ・アレティンが来たわよ、とルイーズが扉を開けてくれた。
「いらっしゃい、我が甥」
階下や廊下での声がどれくらい届いていたか知れないが、マリー゠フランソワーズは変わらずやさしく迎えてくれた。
「無沙汰をしておりました、伯母上。ご機嫌いかがですか?」
「こんにちは、見ての通りですよ」
俺は安堵の思いだ。少なくともラ・ヴァリエール家の皆々は俺を受け入れてくれる気持ちがある。
「皆さんへのお土産にこの花とお菓子を」
ルイーズに示すと、受け取った。
「早速活けてくる。あとお菓子を見てもいい? 準備してくるから、お兄さんはゆっくりしていってね」
ルイーズは手土産を抱えて部屋を出た。
「オスカー、立っているのもおかしいから、お掛けになったらどう?」
「そうします」
空いた椅子に掛け、改まって向かい合う。伯母の脇に置かれた刺繍枠が目に入った。
「何の刺繍ですか?」
「仕事じゃないの、小物にちょっとした飾り付け」
伯母は照れたように刺繍とその道具を隠した。
「腕が鈍らないようにしていることだから、あまり見せたくないのよ」
「謙遜なさらなくてもよろしいではありませんか」
「完成して、出来に満足したら見せます」
刺繍の出来不出来は俺に判るものでもないのだが、中途半端な品を見せたくないとの伯母の主張が判るような気がして、話題を変えた。
「オーストリア皇帝が来ている間、シャン゠ゼリゼ通りはどうでしたか? こちらは大使の護衛で行事に付いて行ったり、見回り警護に駆り出されたりで、見物の余裕がありませんでしたよ」
「そうねえ。やはり催し事があるとこちらも注文を急がせるお客様いらっしゃるし、結構忙しかったわ。ベルナデットには良かったんじゃないかしら。あの娘は一つのことにしか集中できない性質だから、あなたに会えない分、仕事に精を出すしかなかったもの。いい仕事をしていました」
「はあ……」
これは責められているのだろうか。




