三
オーストリア皇帝に媚態を示す貴婦人方がいるようだが、フランツ・ヨーゼフは脂下がりはしない。バイエルン国王は女性が苦手でフランス女性を受け付けなかったが、オーストリア帝は謹厳実直、妻しか女性はいないと目にも入っていないようだ。妻のいぬ場所で羽目を外そうと思い付きもしないのだろう。ご立派だ。二十代そこそこで一目惚れして結婚し、相手を今でもずっと愛している、らしい。美人と評判で、母方の従妹でもある皇妃エリザベートだが、皇帝の母であるゾフィー大公妃とは何かと意見が合わず、宮廷の居心地が悪いと感じてか外出ばかりを好み、美容と乗馬にばかり熱心と陰口を叩かれる。元々皇妃候補だったのはエリザベートの姉であり、エリザベートは一国の妃に相応しい教育をされていない活発な少女だった。
そんな女性でも皇帝は大切にし、睦み合ってまた子を儲ける。
結婚とは、神の前で誓ったからにはそうあるべきなのだろう。俺の両親やフランス皇帝夫妻は夫婦の手本になり得ない。
「退屈しているのかね?」
シュタインベルガー大佐は、諜報の必要はなかろうと皮肉っているように聞こえる。
「いいえ、安心しているのです。予定通りに粛々と事が進み、何も問題が起こらないのが一番です。報告も短くて済みます」
「こちらも無事に終わればよく眠れる。次の行事に差し支えが出ないのが一番だ」
全くもってその通り。面倒事はロシア皇帝訪問時だけで沢山だ。大群衆の中、警備し、不審者を見付ける苦労を大佐も味わってもらいたい。要人暗殺を企てる輩が生真面目に宣戦布告して、真正面から現れるはずがない。フランツ・ヨーゼフ帝もナポレオン3世も、我らが宰相閣下だって不審者から狙われる事件を経験している。革命を経験したヨーロッパで用心に越したことはない。
とはいっても屋敷や宮廷から一歩も出ないでは下々と隔絶されてしまう。人々は素敵な王侯貴族の姿を仰ぎ見るのが好きだ。反感を買わない程度に身綺麗して威厳のある、時に親しみやすく、活躍している所を垣間見させなくてはいけない。
王者は常に堂々として鷹揚に、そして愛され、恐れられ、憎まれる存在。
その後も、ウージェニー皇妃が夫を伴わずに(この表現は合っているのか?)熱気球に乗って空に昇ったとか、フランツ・ヨーゼフ帝がブローニュの森を散策したとか、巴里では話題に事欠かない。俺はそれらを一定の距離を保って観察していた。フランツ・ヨーゼフが万博会場を見学していたら、何かを見付けたと近寄って行った。そこにはバイエルン国王のルードヴィヒ2世がいた。エリザベート皇妃の妹との婚約を破棄したばかりで、ミュンヘンの宮廷は後始末でバタバタしているだろうに、この国王はお忍びで巴里にまた遊びに来ていた! 元婚約者の義兄でもあるオーストリア皇帝にばったり出会って、流石に驚いたようだが、悪びれる様子はない。ここで大いに慌てて謝ったりしたら、一国の王として恰好が付かないのだろうが、ルードヴィヒ2世には変わっている。自分一人夢の世界にいるかのようだ。オーストリア皇帝といえども、自分の楽しみは邪魔させないとでも考えているのだろうか。
バイエルン国王は政治的な動きはしない。奇行に付き合って喜ぶのはおこぼれを待つ寵臣か、ゴシップ誌の記者たちだ。こちらはただ散財にだけ注意していればいい。不逞の輩に暗殺されたとして、独身のルートヴィヒ2世の後を継ぐのは弟のオットー王子と決まっている。王位を巡って国際的な争いが生まれる懸念はなかろう。
そう判断する俺は冷たい。
情よりも職務が大事だ。愛妻家の皇帝がブローニュの森やテュイルリー公園を歩く娼婦に眉を顰め、大道芸人の見物をする様に、オーストリアの皇帝はイングランドの王太子のように巴里で女遊びはしない、外国の文物や庶民への目配りを欠かさないようだ、バイエルンの国王はじきに万博が終了するので気に入ったパヴィリオンを買い取る交渉を命じ、臣下はその遣り取りと見積りに忙しい、と観察の結果を伯林に送るのみ。多少の見解を加えるが、個人的な感傷は余計だ。大衆新聞の記者のように面白おかしく伝える必要は一切ない。国を利する情報があるか、いずれ重要となる事案がないか、審問に応える陳述のごとく。




