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君影草  作者: 惠美子
第三十五章 孤愁
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 秋はいよいよ深まり、日差しがあれば大気は暖かいが、曇や雨となると寒さが増す。風は冷たく、色づいた木の葉を揺らし、散らす。冬の支度を始めねばなるまい。

 マダム・メイエから薪の購入や備蓄に当てや伝手はあるのかと尋ねられた。石炭を買って自前のストーブを用いたいと仰言る方もこの頃いらっしゃるので、どうなさいます? そうでなければいつも頼む所にお願いするので、一緒に俺の分も手配しましょうかと、付け加えた。

 自ら当たってみてもよいが、手間暇を思うと任せた方が確実だろう。

「お家賃に上乗せする形で代金を頂戴いたします。明細を請求書に載せますので、ご安心を」

「ええ、巴里(パリ)の冬は初めてです。お住まいになっている方にお任せするのが一番でしょう。お願いします」

 俺が物柔らかに言っても、マダム・メイエの生真面目さは変わらず、にこりともしない。巴里の女性が愛想がよいとは限らない、よい証拠だ。

 十月も終わりが見えてきた。

 オーストリアのフランツ・ヨーゼフ帝が来仏した。伯林(ベルリン)の参謀本部から指示は何もない。維納(ウィーン)から皇帝一行と共に巴里に潜入する者がいるのだろうが、ロシア皇帝の時のように組んで調査せよとの命令は来ない。気紛れで放浪癖がある皇妃エリザベートが一緒に来るのであれば手を貸せと言われるのかも知れない。だが、フランツ・ヨーゼフ帝は単身での来訪、諸国の王侯と比べて品行方正で、どこかの皇帝に見習わせたいくらいの愛妻家、予定表にない行動はしないと踏んだか。オーストリア皇帝は宿泊場所にエリゼ宮を提供され、滞在している。テュイルリー宮に赴いてはナポレオン3世とその家族と対面し、昼餐、晩餐、閲兵式、万国博覧会見学と日毎夜毎のスケジュールをこなしている。

 ゴルツ大使に付き添って俺もテュイルリー宮の歓迎晩餐会に行き、皇帝たちの様子を窺った。三十半ばを超えたフランツ・ヨーゼフはスラリと背を伸ばして若々しさをまだ残し、六十を手前で疲労を隠せないナポレオン3世とは対照的だ。壮年者と老人と評していい二人が並び、儀礼の為に仕方がないとはいえ、欧州でのフランスの立場を示すようだ。だからといってオーストリアが成熟し、栄えているとも言い難い。

 六月のメキシコ皇帝マクシミリアンの訃報に、オーストリア皇帝への弔意と同情が寄せられ、フランツ・ヨーゼフは――仲が良かったかどうか知らないが――弟の死を悲しむ顔をし、フランス皇帝への悪感情を隠さない。正直なのか、外交上フランスへの貸しにしておくからなと、無言で訴えているのか、俺のような下々の者には窺い知れない。異郷の地で銃殺された次弟の遺骸はまだ大西洋の向こうにあり、埋葬を終えぬうちは悼む心を鎮めようにも鎮められないだろう。

 フランツ・ヨーゼフとマクシミリアンの兄弟の情は置いておくとして、妻同士は仲がよくなかったと伝わっている。だがマクシミリアンが処刑され、その妻シャルロッテは正気を失った。夫の死を理解できぬまま実家で幽閉されて暮らしていると聞かされれば、誰でも心が痛む。皇妃エリザベートもまた義弟夫婦を襲った不幸を嘆いた。外交辞令を使わない皇妃は馬鹿正直に来仏を嫌がり、オーストリアに留まった。ザルツブルクでフランス皇帝夫妻の弔問を受けたのだから充分だと考えたらしい。

 宮廷で和らいだ雰囲気を醸したのはフランス皇太子の存在だ。皇太子は十一歳で、オーストリア皇太子より二、三歳上だ。自国の宮廷に残してきた息子を思い出してか、フランツ・ヨーゼフは優しく対応していたように見える。

「皇太子が大人になるまでまだ歳月が必要ですね。皇帝は壮健でおられないと」

 そんな意地の悪い観察をしてしまうのが俺のひねくれた所だろう。ゴルツ大使やシュタインベルガー大佐は視線を動かさない。

「皇太子が十八になる頃に皇帝は六十六になるのかな? ボナパルト家の四代目がどんな人間になるかは面白かろう。すんなり四代目を名乗らせてもらえるか知らんが」

 ゴルツ大使は俺に聞かせるでもなく、呟いた。

 ナポレオン1世はきょうだいが多かったので、うるさい親族が多い。歴史の長い王侯は大変だろうが、親戚の多い家も面倒だ。

「そういえば、大尉はオーストリア皇妃について聞いたかね?」

 シュタインベルガー大佐は退屈そうに俺に尋ねた。

「いいえ、何も」

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