七
俺は鳥籠の小鳥でも生け簀の魚でもない。ベルナデットが俺を気遣ってくれるのは有難いが、なんでも把握しようとするのは間違っている。心の中まで読んで世話しようとは行き過ぎだ。
「ラ・ヴァリエール家は親戚で皆大切な人たちだ。特にあなたは俺にとってなくてはならない女性。
あなたは巴里の女神そのもの。目をつぶる時あなたの仕合せを願い、目覚める時あなたと会えるかと心がざわめく。いつもあなたの面影と共にいる」
乳母さながらに俺の世話を焼く必要はない。俺は自分の面倒は自分で見られる大人だ。靴紐さえ結べないほど幼くもなければ、やんごとない身分でもない。
「あなたは、酔っ払いの亭主や洟を垂らした子どもの為に立ち働いているおかみではない」
「わたしは貴婦人じゃないわ」
すっと両手を広げて見せた。
「そりゃわたしはこの店で働いているから、農家や工員のおかみさんとは幾らか違う生活をしているけれど、家政婦や執事のいる暮らしをしているのでもないのよ。交代で賄い料理を作るし、経理の確認だってする。
指貫を使っていても針仕事で手先が荒れるし、鋏が滑って指を切ることもある。油を塗り込んで手入れしている。でもそれは仕事に差し支えないようによ。爪は短く切るだけ、やすりを掛けて形よくなんて、悠長な楽しみはない。
あなたはわたしの手を綺麗だと思う?」
「勿論だ」
俺はベルナデットの両の手の平に自分の手の平を重ねた。
「俺のこの手は? 古傷があって、まめの痕や胼胝がある。触れられて硬くて嫌だと思わないか?」
「いいえ」
「それなら良かった。今までの生き方があってこの手になった。あなたも同じだ」
納得したのかしないのか、ベルナデットは言いくるめられたと感じたらしい。喉元に何か引っ掛かったような顔をしている。もう少し彼の女の気を逸らせないか。
「貴婦人だって色々だ。アグラーヤ――ハーゼルブルグ子爵令嬢だとて家庭教師になったら爪を伸ばさなくなった。日常が変われば、身だしなみが変わるのだろう」
ベルナデットの表情が冷めた。
「マドモワゼル・ハーゼルブルグのお話をしているんじゃありません。ここでは関係ないじゃありませんか。
ええ、ええ、わたしはマドモワゼル・ハーゼルブルグみたいに育ちが良くありません」
比較しようとアグラーヤを出したのではないのに、急に何を言い出すのか。アガーテがいようとも、今ではアグラーヤに何ら特別の感情を抱いていない。ベルナデットに優る存在がどこにあろうか。
「俺は手の話をしたんだ。手仕事や子どもの相手をしているなら爪を伸ばしていられらないと。どうして怒る?」
「怒ってません」
「怒ってる」
「怒っているのは貴方です」
今度は「あなた」ではなく「貴方」と言ってくる。俺の神経を逆撫でして楽しい訳ではあるまいに、何故こんなに言い募る。
「マ・シェリ」
「知らない。マ・シェリと呼んでくださる貴方がどうしてわたしに素直になってくださらないのかしら? 紳士らしく毅然としてるのは素敵だけど、打ち解けてくれていない、信用してくれていないんじゃないかと思うのはわたしの我が儘なのかしら?」
つんけんしながらも声音は甘い。
心底面倒くさいと感じるのは俺の我が儘だろうか。
「好きな相手の世話を焼いてみたい気持ちは男の人には判らないものなのかしら? いつも奢られて、お返しをできなくて申し訳なくて、辛くているのに」
男が食事や遊興の代金を持つのは当然で、それに対価はない。
「俺の好意を何だと思っている? 見返りを求めるような男だと思っているのか?」
声を荒らげてしまった。