五
俺は人差し指でベルナデットの鼻の頭を突いた。
「頑張り屋さん、ひとまず休憩。夕食当番でないのなら、ゆっくりしよう」
納得したのか、ベルナデットは俺にもたれ掛かってきた。柔らかい感触と温もりが伝わってくる。
「周りに聞こえないようにもう一度口を塞いでしまおうか?」
「腫れ上がっちゃったら恥ずかしいから駄目」
「憎らしいことを言う口はやはり塞がないといけないな」
抱き寄せようとするのを、ベルナデットは強めに押し返す。
「本当に聞こえちゃうし、ここはお行儀良くしてちょうだい」
「あなたから手を差し伸べてくれたのに、残念だ」
ベルナデットは少女のように唇を尖らせた。
「仕事を終えた後はわたしだって労われたいのよ」
ここは我慢して彼の女の髪を撫で、肩に手を置いた。
「判っている。洋裁店の経営者の一人として客やお針子の前では毅然としているのだろう。
ここで俺に見せる顔はできない」
「どんな風に見えるの?」
ベルナデットは澄まして目を閉じた。眉間、鼻の頭、唇、顎と順に触れた。予測していたように彼の女は驚かず、身じろぎしない。掌で頬を包む。
「服の意匠を考えて、縫製を凝らして、素晴らしい洋装を創ろうとしている、芸術の女神に仕える巫女。美しくて、愛らしい巴里女性。森の中から出てきた俺にとっては巴里の魅力そのもの。
いつまで綺麗な目を瞑っているつもりだ?」
「もっとあなたの声を聞かせて」
「お洒落でセンスが良くて、意匠の提案もしてくれる、優秀な『ティユル』のマドモワゼル。常に綺麗で素敵な姿をお客様に披露していなけりゃならないのだから、疲れもするだろう。俺の前ではコルセットを解いたって構わない。ゆったりとした恰好になってくれたらいい。
あなたが素のままでどんなに美しいか俺だけが知っている」
くすぐっていないのにベルナデットは微笑み、俺の手に手を重ねる。
「こうしているだけでもうっとりしてきちゃう」
「もっとねだってくれてもいいのに」
「それはまた今度」
寝台の上に二人して腰を下ろしているのに、服を着たままなのは誠に残念。ベルナデットの言う今度がいつになるのか、はっきりさせられないのがもどかしい。
いや、焦っていては、女性から呆れられかねない。気持ちが大切だとお互い判っていても、それだけで済まなくなるのが男女の仲だ。だからといって嫋やかでやさしい体を、野の花の茎を捻じって摘み取るように扱ってはいけない。
結婚していないのだ。あくまでも節度は保ち、家族を心配させないよう、ベルナデットの名誉を汚さぬよう、努めよう。花は新雪と競うほど清らかであるのが望まれる。
「あなただって――わたしと比べてはいけないんでしょうけど――大きな仕事を終えた後は頭を空っぽにしたいと思うでしょう。気楽に過したいというか……」
頬に置いた手の指を動かした。
「大事な客の対応をしていたところに押し掛けて、悪かった」
「それはいいの、きちんと品物を渡して、満足していただいたのだから、何も問題ないわ。
アンヌたちに後始末させているのは悪いけど、あなたが来てくれてほっとしている」
ベルナデットは目を見開いた。青い瞳が俺を映している。
「あなたは立派に役目を果たしている」
「有難う」
ベルナデットは俺の手を取り、口付けした。唇を受けるのは手でない方がいいのだが、それは黙っていよう。
「一日の仕事を終えてあなたといられる。あなたが仕事を終えて帰宅して、わたしが出迎えるとしたら、どんな感じになるかしら?」
「さあ?」
俺の声は彼の女に冷たく響いたろうか。




