九
発音が同じで、綴りも同じか知らないが、ビスマルクと聞けば、プロイセンの神経痛で渋面を作る宰相閣下を連想してしまう。
自嘲が浮かぶ。
若き日に散々悪さを繰り返していただけあって、宰相閣下は外交で喧嘩を高値で売るのが上手い。おまけに軍事にはローン陸軍大臣とモルトケ総参謀長閣下が付いていて、いつ何時ことに及んでも怖いものなし。
俺は少しでもドイツに有利に働く情報を拾ってこいと、フランスにばら撒かれた駒だ。広い公園に軍隊を敷けるか、大通りでは行軍ができるか、橋はどれくらいの衝撃まで耐えられるかと、測量士のように見てしまう。
茶葉の蒸らし加減を間違えた紅茶を飲んだような顔をしていたかも知れない。
「オスカー、お仕事でお疲れなのかしら?」
ベルナデットから声を掛けられた。心配させてはいけない。
「いや、そんなことはない」
「奴さん、ビスマルクなんて単語を聞いたから、お決まりの人物の顔を思い出したんですよ」
アンドレーアスは遠慮せずに言い当てた。今は同じプロイセン人なのだから、アンドレーアスだって同じだろう。これには女性陣は笑った。
「そうねえ、染料を作り上げた人の名前からきているのかしらね?」
「色合いと布地への定着が良ければ、染料の名付けなんて気にしていなかったわ」
もっともだ。
「繊維の染めに関してはわたしたち素人だから、色落ちしにくいと聞けば素晴らしいと思うくらいだわ」
「赤系の色は褪めやすいですね」
「そうそう」
アンドレーアスも混じって、染料や、細かい柄を出す染め方の話になった。
仕立てや意匠の話題となると門外漢だから、俺は自然に聞き役だ。それぞれ知識があるようで、次々と口を開く。
自分の仕事に関して研究熱心な様子に、いささか置いて行かれた気分になりつつも、皆の意気込みが伝わってきて、楽しい。ラ・パイーヴァの屋敷でグラモンから聞かされた貴婦人のご乱行などよりずっといい。あれはひどい。夏のひととき、川沿いだったか、池の近くだかで、散歩していた貴婦人方が行きずりの男性――貴族や伊達男ではなく労働者だった――とふざけ合い、それでも足りなくて、男性をヨットに見立てて、水面に浮かばせ、マストにハンカチを帆のように……、ああ! ここまでよく覚えているのは下らないと軽蔑しながら、俺も面白がっていたからじゃないか! 男性が溺れそうになって大騒ぎになり、結局貴婦人方の醜聞を新聞記者が嗅ぎ付けて、大いに書き立て、紙面には載せられなかったが、貴婦人方の実名はと、乱行の様子の再現をしようと微に入り細を穿つがごとく、詳しく語ってくれた。
色欲に貪欲、はしたない噂好き。誰も彼もが地獄に落ちる輩ばかり。
だが、ここに会している人たちは違う。行きずりの相手とけしからぬ振る舞いを決してしない、正直に生きる人たちだ。たとえ俺が地獄に落ちることになっても天国に導かれる人たちだ。俺が必ずそうさせる。
巴里の伝統と美しさ、女性の靭さを体現する人――ベルナデット。あなたの白い手で縫い上げられる服を纏う女性たちはさいわいだ。あなたは流行と美しさを作る。それがあなたとあなたの家族のたつきの道であり、尽きぬ興味とよろこびでもある。
だからあなたは俺の職務を知らなくていい。あなたがいてくれるだけで、俺は今生きる気力に充たされる。あなたとあなたの家族は、俺が力の限り守る。
「お兄さんにはお裁縫の話は退屈?」
ルイーズが上目遣いに俺を見た。
「いやいや、いつも何も考えずに身に着けている服はこんなに苦労や工夫を重ねてできていると知ることができて、勉強になる」
「ロージャはそんなこと言わないわ」
「ロージャっていつか――、ああ、先月のお祭りに行くのを断ったっていう学生さんか?」
そうよ、とルイーズはまた照れた。




