二
「ベルナデットはこれから出回る茸が旨いと言っていた」
アンドレーアスは口の端の片方を上げた。
「心配するな。彼の女にはちょっかいは出さない」
牽制しようとベルナデットの名前を出したつもりはなかったが、アンドレーアスには俺が彼の女と親しくしていると強調したと聞こえたようだ。
「マグダレナ奥様の姪であんたの従妹となれば、やっぱり気後れする」
「おまえが?」
「そりゃそうだ」
「いくらベルンハルト伯父の娘だからって彼の女は貴族じゃない」
「ベルンハルト様を直接知らなくても、リンデンバウム伯爵家のフェリシア様を知っている。どうしても挨拶で敬意を示してきた気持ちが浮かんでくる。対等な立場にいられるか
と自分で感じるから、踏み込む気になれない」
「そんなものか」
「そんなものだ。俺は貴婦人に奉仕する騎士じゃない」
両手をひらひらさせたり、何かを抱きしめたりする仕草をしてみせた。
「俺は宮廷恋愛なんざ趣味じゃない。情熱のままが一番」
こんな所で『恋愛論』が出てくるとは思わなかった。勿論、女性に敬意を持って奉仕し続けるだけなのは俺だとて詰まらない。
「ああ、突っ走って大火傷は堪ったものではないが、何もしないまま萎びていくのは生きている甲斐がない」
ここは二人で意見が一致だ。
男性より身動きしづらい身だが、女性だって生身の人間だ。互いに欲すれば、止めようがない。世間の目や経済的な面で守ってやるのは、騎士でなくとも男の義務だ。
「オスカーは仕事柄、巴里の社交場に顔を出しているのだろうが、ブールヴァールの賭博場には行ったのか?」
「一度護衛で付いていった。私用ではまだだ」
珍しい、とアンドレーアスは皮肉を言う。
「これから幾らでも機会があるからいいんだ」
カード遊びは好きだが、娯楽の乏しい兵舎と巴里の街は違う。それに賭博場に入り込んだとして、賭けに熱中して尾行相手を見失ったり、有用な情報を掴み損ねたりしては仕事にならない。賭けで大勝して目立つのもよろしくないと上から聞かされては、何の為に行くのかと気が失せる。
どこぞの侯爵夫人や将軍がルーレットで見事な宝石を手離した、ブルジョワが尾羽打ち枯らした貴族にカードで大きな工場の権利を明け渡すことになった、そんなニュースを心待ちにする新聞記者のグラモンやそのご一党がうろついている。痛くもない腹を探られるのは御免被る。どうせ遊ぶのなら、人の目を気にせずにいたい。観劇やピクニックの方がましだ。ベルナデット、伯母たちと過すと、安心できる。
「万博の褒賞授与式が終わってからも新聞王にも会ったっていうし、忙しそうだ」
「折角テュイルリー宮や名立たる豪邸に行っても護衛では気が抜けない」
ほかの仕事を知らないアンドレーアスはそれでもどんな場所かと興味を隠さない。
「宮廷の宴会は花の都らしく派手で賑やかなんだろうなあ?」
堅苦しい礼儀を無視して、アンドレーアスは集う人々の纏う煌びやかさを想像している。
「昴とは規模が違う。伯林とも雰囲気が違う。
巴里の貴婦人方はみな魅力的だ。ただ、フェリシア伯母やアグラーヤのような貴族の女性にはまだ会えていない」
アンドレーアスは肯いた。
「あれ程の女性はなかなかいない」
アンドレーアスの無言のうちに語る言葉を聞いたような気がした。