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君影草  作者: 惠美子
第三十二章 市中の話題
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 インクを流し込んだように宵闇が室内を染め上げていく。

「ジラルダンの今の夫人は、母親がナッサウ公国の大公の一族と縁があって伯爵の爵位を得たので、その称号を相続している。生まれ育ちがすべてとは言えないが、育つ環境に恵まれたからといって、全員が全員聡明になれるとは限らない」

 きょうだいといっても、俺の母と伯父、伯母はまるきり性格も生き方も違った。何がどう影響して人格を創るのか、正解などないのだろう。それに男女、長幼で教育方針に差が出る家庭だってある。

「今のフランス皇帝の伯父は才女が嫌いと公言していましたし、同様に考えて知識を授けない親もいるでしょう」

 ナポレオン1世は才媛のスタール夫人を煙たがった。

「男性でも女性でも外見と才幹は人それぞれなのだから、一概にこうあるべきと決めつけるのは間違いだ。ナポレオン1世の才女ではなかったらしい姉妹たちの身の処し方で一目瞭然だ」

 ゴルツ大使は淡々と補ってくれた。二男のナポレオン一人の出来が良すぎたと評するべきなのかも知れない。弟の一人が政治家向きだったが、その才と野心で兄弟仲が悪かった。ナポレオン1世の姉妹がどれくらいの教養の持ち主か知らないが、情に流され易かったと、その行状を聞いている。

「知識があるとしても、冷静な判断が常にできる人間ばかりではありません。様々な人と対し、目新しい話題を提供するとなると、それこそ深窓の女性には向かないでしょう」

「注目を浴びる、人の話に耳を傾けつつそれ相応の言葉を返し、意見をまとめるとなると、大人しいだけではできない。相応しい振舞いができるのはごく少数の女性だ」

 ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵の口調に、俺はつい口の端を上げた。

「失礼ながら、伯爵のマダムへの愛情を感じます」

 いや、これは、と伯爵は大いに照れた。これには大使もさり気ない自慢だと、つられたように笑った。

「盃の酒の薫りが飛んでしまっているといけない。そろそろ広間に行こう」

 否やはなく、宴の場所に移った。

 煌びやかな広間で、皆さんお揃いになっていますよ、とラ・パイーヴァのやさしい咎めに促されて、案内された席に各々着いた。開け放たれたままの窓からの風でレースのカーテンが揺れる。

「太陽が星へと天空の座を譲り、大気も鎮められています。このひととき、この世の憂さを忘れましょう」

 盃を交わし、食事の皿が並べられていく中、紹介やら挨拶やら、礼儀正しさを欠かさぬよう、繰り返される。

「ムシュウ・ド・ジラルダン、こちら初めての方ですから紹介いたしますわ。プロイセンからいらっしゃった大使館付きの軍人さん、オスカー・フォン・アレティン大尉です。

 アレティン大尉、斜め向かいにいらっしゃるのが、新聞社を経営して、ご自身でも執筆なさっている、エミール・ド・ジラルダン。隣はムシュウ・ド・ジラルダンの新聞社で記者をしていらっしゃるジェラール・グラモン」

 斜め向かいに座している、鼻眼鏡の男性が俺に顔を向けた。俺は社交用の愛想を見せるが、相手は彫像のように少しも表情を変えなかった。灯りの所為だけではない、元々色が白いのだろう、夏場の日焼けが一切見えないような肌に、鼻眼鏡の奥の冷たい目。これが巴里の新聞王と言われるエミール・ド・ジラルダンか。

「初めまして、オスカー・フォン・アレティンと申します。お見知り置きを」

「初めまして、エミール・ド・ジラルダンだ」

「初めまして、今晩は社主の荷物持ちですがご相伴に与っています、ジェラール・グラモンです。こちらこそどうぞよろしくお願いします」

 ジラルダンの隣の男はヘラリと笑った。

 無表情と追従笑い、どちらも一筋縄ではいかない気質の人物のようだ。


 鼻眼鏡は、ジョークグッズではなくて、鼻に挟んで掛けるタイプの眼鏡。耳に掛けるツルがないので、鼻の形によっては掛け辛い、焦点が合わせ辛いのが難点。掛け具合の安定もよくないそうで、今ではお洒落や携帯用で使われているのではないかしら?

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