七
リース大佐は相も変わらず、地図や測量図を広げて眺めている。参謀役は閑職と言われているが、実に熱心である。プロイセンの総参謀長の活躍を聞けば、心穏やかでないのは当然だろう。俺も地勢図や測量結果を合わせて見ているのは好きだ。だからよくリース大佐の部屋に来て、話を聞いたり、自分の考えを述べたりしている。大佐も話し相手がいるのを重宝しているようで、たまに俺に来るように声が掛けられることがあった。今日も呼び出されて来ている。だが、なかなかリース大佐は話を始めない。
黙って俺は上官が口を開くのを待っていた。
やがて、リース大佐は顔を上げてちらりと俺を見た。あまり機嫌が良くなさそうだ。
「アレティン中尉、シュミット中尉と決闘をして勝ったそうだな」
「はい」
「退屈している我が軍団で、降誕祭までの話題を提供してくれたわけだ。真似をする輩が続かないといいのだかな、どう思う?」
不機嫌の理由はそれか。
「決闘は真似をするものではありません」
「その通りだ。しかし、一度中尉の評判が上がれば、同じように称賛されたいと考える愚か者が出てくるかも知れん」
「矜持を守らなければならない場面が出てくれば、決闘に至っても致し方ないかと思いますが」
リース大佐は眉を吊り上げた。
「矜持。矜持とは何かね? 酒場での言葉の行き違いからの口喧嘩程度で短銃やサーベルで決着を付けるのがこの国を守る軍人の誇りなのかね?」
「……」
「それとも、家族や恋人の名誉を守るために決闘をするのかね?」
「大佐、小官は相手の申し出を受けただけです」
「元は酒場での口の悪さから始まったのだろう」
俺は言葉に詰まった。
「守らなければならない矜持、名誉。どうも私と中尉は価値観が違うようだ。
プロイセンの宰相も大学生時代は数々の決闘や喧嘩をして、それを自慢にしているようだが、私に言わせれば若気の至りの蛮勇であって、一国の宰相の経歴にしては軽々しくて相応しくない。
シュミット中尉が君をどう言っているか知っているか」
「知りません」
「アレティン中尉は尊大だ。騎士階級の出身なのに、大貴族の御曹司のように振る舞っている。少しは身の程を弁えろと言っているそうだ」
「大貴族の御曹司がどのように振る舞っているか小官は知りません。国を守る軍人として見苦しくないよう、努めています」
リース大佐は俺の顔を見直した。
「貴官は正しい。その正しさがシュミット中尉を追い詰めたかも知れない」
「小官が正しいのにですか?」
「そうだ。正しくありたいと思ってもそう振る舞えない者もいる。そういう者にとって、尊敬されるか憎まれるか、想像してみたまえ」
一つ溜息を吐いて考えてみた。乳母やディナスに厳しく躾けられ身に付いた礼儀は衣服と同じだ。行動するのには切り離せない。それをできないからといって、目障りなのだろうか。
「加えて君は品行もよろしい方だし、優秀だ」
「有難うございます」
リース大佐は褒めていない、と咳払いをした。
「我が国は古くからの歴史はあるが、覇権を握った経験がない弱い国家だ。強大な力をつけつつある国、歴史と権威を併せ持つ国、それらの国々に囲まれている。
そういった国のようになれないと、鬱屈した思いになる過激な国粋主義者もいる」
「はあ……」
シュミットがその類には思えない。大佐の例え話か?
「士官が小さな体面にこだわって、戦闘に参加できなくなるような怪我を負ったり、命を失ったりしたら、国家の大いなる損失だ。昔から伝統として黙認の形になっているが、どこの国の軍規でも決闘が禁止されているのはその為だ。
士官となったからには命は個人だけのものではない。国家のためにも働かなくてはならないものだ。
私の言わんとすることは間違っているか?」
大佐の言葉を呑み込むのにしばし時間を置いた。
「いいえ、正しいと思います」
「だが、心底では納得していない。侮辱を受けたら、すぐに決闘に訴えるのが男として当然だと古臭い考えに縛られている。
そういう意味では君もシュミット中尉も同類だ」
「臆病者とそしられるのは恥辱です」
リース大佐は諦めたように肩をすくめた。
「この件に関しては、私と君の意見は平行線のようだ」
「そのようです」
「とにかく、どんな時に命懸けになるべきか考えたまえ。そして、少しは弱い立場の者の気持ちも慮りたまえ」
「そのように努力します」
今回の決闘に関して、少しは心配してくれていたらしいと、自分に言い聞かせることにした。




