八
「貴官がそう思ってくれるのなら頼母しい」
俺の物言いに、ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵は穏やかだ。気負い過ぎかと気恥ずかしくなる。
「時にアレティン大尉」
伯爵は一歩俺に近付いた。
「大尉も知っているだろうが、テレーズは私と暮らすようになる前からの馴染みがこの巴里に多くいる。テレーズのかつての仕事仲間もね」
確かにこの屋敷のマダムが高級娼婦であったのは誰もが知っている。だからといってあからさまな言葉は慎まなくてはならない。俺は注意深く肯いた。
「古い女友だちがテレーズを訪れてくれる。また、その女友だちとの付き合いの深いご仁も来ることが多い。
エミール・ド・ジラルダンという人物を知っているかな?」
いいえ、と答え掛けて、どこかで聞いたことがある名前だと、顎に指を当てた。
「確か……、フランスの新聞か雑誌で見掛けました」
そうだ、と伯爵が言った。
「昔『プレス』の経営と編集をしていた」
今も続く、所謂大衆紙だ。
「昔デュマの小説を連載していた新聞ですね?」
「ああ。その新聞の『プレス』の創設者で、今は夕刊紙『リベルテ』の経営をしている。ジラルダンは昔からテレーズを知っていて、今でも忘れずに顔を出してくれる」
こういう時はどんな表情をして受け答えをすれば粋と言われるのだろう? ゴルツ大使がチラリと試すように俺を見た。下手に冗談を飛ばしたら、気まずくなりそうだ。ひとまず無難に言っておこう。
「それはマダムのご友人とご一緒にご訪問なさるのですか?」
「ああ、そうだ。
テレーズの宴会好きは若い頃からで、ジラルダンはその頃からよく来ていたと、テレーズから聞いている」
伯爵と出会う前からの馴染みとでもいうのだろうか? ますますどう反応したらいいか迷ってしまう。
俺の様子に気付いたか、伯爵は口の端を上げた。
「まあ、気にしないで聞いていてくれればいい。
ジラルダンはエステル・ギモンと名乗る半社交界の女性のかつての後援者の一人で、テレーズはそのどちらとも親しく行き来をしていた」
ラ・パイーヴァの同業者からの縁なのか。新聞社の社長は高級娼婦の後援をできるくらい儲かるのだろうか、とつい下世話な想像をしてしまった。まあ、この屋敷の女主人の蕩尽は別格だろうが。
「ジラルダンは、プロパガンダの為に新聞を使う少壮の改革家気取りとは違う。日々の出来事、事件を追い、小説を連載させ、購読料を下げる為に広告を大きく載せて、読者を掴んだ面白い男だ。おまけに新聞社の儲けはきちんと社員に還元する、吝嗇とは全く逆の人間だから、記者も印刷所もジラルダンに付いていく。
第二帝政に入ってからはジラルダンの勢いは大分静かになったが、それでもまだ『リベルテ』を手にして、筆も執る。
エステル・ギモンとの男女の仲はとうに切れたが、親しい友人であるのは変わらない。
この二人は今でもテレーズとの付き合いを大切にしてくれている。
今回の宴にはジラルダンが来ることになっているし、もしかしたら若い新聞記者を荷物持ちに連れてくるかも知れない。アレティン大尉、貴官さえよければ紹介したいと思っているのだが、貴官はどう思う?」
参謀本部付きの人間なら、役に立とうが立つまいが、新聞記者という情報を売り物にする種の人間と知り合う好機を逃すまいと、言いたげな口調だ。余りある気遣いに感涙でむせびそうだ。
ゴルツ大使が俺を見据えていた。胸の内はどうあれ、断る莫迦はいまい。
「ええ、是非ともお願いします」