七
ルードヴィヒ2世が即位して直ぐに臣下に命じたのが、音楽家のワーグナーを探し出し、首都ミュンヘンに連れてくることだった。婚約者の公女ゾフィーがワーグナーの楽劇に出てくる女性の名前で呼ばれているのを、レヴァンドフスカの小娘がやたらと憤慨していた。
「バイエルン国王はワーグナーの音楽がお好きなのでしょう?」
好きな女性は彫刻と答える国王は、多分、婚約者を含めた生身の女性よりも女優や歌手が演じる姫君の姿を好ましいと感じているだろう。
「バイエルン王家は芸術を愛好し、芸術家を後援してきている歴史があるのは承知している。だが度が過ぎてはいけない。ルードヴィヒ2世の祖父のルードヴィヒ1世が踊り子に入れ揚げて国が乱れた前例があり、ミュンヘン市民の記憶に残っている。
ワーグナーの音楽が荘重なのは認めよう、だが……」
ゴルツ大使は言葉を濁した。ワーグナーは芸術家にありがちな、個性的の一言では済まされないような欠点を持ち合わせているのだろうと察せられた。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵が補足してくれた。
「ワーグナーは女好きだ。それも未婚の若い娘よりも人の妻になっている、情を知るような」
おかしなものだ。
「バイエルン国王とはまるで違いますね」
芸術作品と人柄は別かも知れないが、それで実際ワーグナーに会ってみて、ルードヴィヒ2世は話が合ったのだろうか? 元々親子ほど年齢が違うのだから気にならなかったか?
ミュンヘンの宮廷での苦労が思いやられる。国王は現実よりも架空の世界の英雄譚や恋物語に夢中で、公務に目を向けない。醜聞を持つ音楽家を贔屓にし、結婚式を延期して、人気と崇拝で国民の支持を保とうとの努力をしない。若気の至りと笑って済まされる域に収まるか、頭を抱えているだろう。
「内向的な性質の王だからオットーはバイエルン国王を気に入っている」
「他国の王としてなら御しやすいに越したことはないと?」
「皆言う必要は無い」
大使の一言に俺は肩をすくめた。伯爵は笑っている。
「忠誠を誓うのなら優れた君主や宰相のいる国の軍隊でと、入隊する時に誰でも願います」
「それなら貴官は幸運だ。ヴィルヘルム陛下もオットーもプロイセンを大きく導いてくれる」
「ええ、それに総参謀長閣下もプロイセン軍にいらっしゃいます。普墺戦争での智謀を知る者にとって、これほど心強い方はいません」
伯爵はふと大使を見た。
「アレティン大尉は大使館の駐在武官の身分だが、総参謀本部のフランス部に所属している。それで巴里に赴任してきた」
大使は秘密にしておく必要がないと判断したようだ。伯爵は納得したように肯いた。
「成程。貴官がモルトケ大将をそう思ってくれるのなら、こちらも安心だ」
安心? 一年前までプロイセンと戦ってきた国の軍人が、総参謀長を尊敬しているようなら裏切らないと心配でもしていてくれたのだろうか?
敗戦したならしたで、国が滅んでも生きていかなければならない身過ぎ世過ぎ。俺にも幾らかは守らなければならない存在がある。
まして軍人として行動するなら、優れた人材を将として仰ぎたいのは自然な感情だ。死を恐れないが、死にたい訳ではない。
「自分をプロイセン軍の参謀本部に採り立ててくださる判断を誰がなさったか存知ません。ですが、与えられた機会を活かせなくてはここに来た意味がありません」
踏みつけられる雑草にも誇りがある。




