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君影草  作者: 惠美子
第三十二章 市中の話題
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「テレーズの願いを叶えてやるのはたやすい」

 巷の噂では竣工するまで掛かった費用は一千万フランを下らないと言われるこの屋敷も、ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵からしたら頓着するほどのものでもないのだろう。

「それだけの甲斐性がある男ばかりでないのをお忘れなく」

「羨ましいと思うかね?」

 正直に答えても伯爵は怒るまい。

「いいえ。小官には伯爵の背負う責任を考えたら、とてもとても。小官には多くの鉱山や工場を経営し、事業を拡大する才覚はありません。おまけに領地の領民や労働者への尊き責務を果たされていらっしゃるのですから、真似できません」

 その分正当な配当をどう使おうが、文句を言わせないようにしてきただろう。

 伯爵は俺の発言を面白がったのか、片方の口の端を上げた。伯爵の工場の労働環境は良いと聞いている。

「環境や待遇を良くしてやるのに限度はない。ご婦人の我が儘と似ている」

 しかつめらしくゴルツ大使が言った。

「成程。しかし、私が手を引くと宣言したら、従業員は前言を翻してきっと止めようとする。

 だが、テレーズはお好きにどうぞと言うだろう」

「そうだろうか?」

「そうさ。誰よりも私がテレーズを知っている」

「卿がそう言うのならそうだろう。

 それだけ従業員や女性を慮れるのなら、私や大尉がこの屋敷へ女性を同伴したがらない理由も判るだろう」

「ああ」

 と伯爵は肯いた。

「お陰でここにいれば結婚しろと忠告したがる者は滅多に来ない」

 大使は酢を飲まされたような顔をし、俺は笑いを噛み殺した。

「招待された先で野暮は言うまい」

 と、大使は一旦引き下がり、話題を変えた。

「巴里は今日も良い天気だったが、ザルツブルクも快晴で暑かったらしい」

 フランス皇帝ナポレオン3世とオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフとの会談か。

「早速情報でも入ったのか?」

「詳しいことはまだ何も。ただお天気がよろしく、滞りなくそれぞれ到着したと」

「それは重畳。何事も起きないのが一番だ」

 高貴の方々の外交儀礼では表面上穏やかに対するに決まっている。メキシコ皇帝だったマクシミリアン大公が現地で横死して、実兄のオーストリア皇帝にフランス皇帝が弔意を示す。ここでナポレオン3世が大公を唆したからとか、支援を突然打ち切り兵を退けただの恨み事を訴えられない。

 人々にかしずかれ、飢えも乾きも無く、あくせく働かなくていい代わり、言いたいことを言えずに穏やかに振る舞い、上品に澄ましているのが義務で、常に注視されている生活を送る方々。型破りと言われるオーストリア皇妃といえども逃れられない。

「かつて欧州側の人間がそれまでの暮らしを否定し、元々いた支配者を追い払ったのだから、欧州側から王族や貴族を連れてきて今日から王様だと言って、喜んで押し戴くか。

 隣のアメリカ合衆国は選挙での大統領制だ。未だに王や皇帝を名乗る者は出てこない」

「だが、合衆国の大統領は内戦の終了後に銃で撃たれて死んだのではなかったのかね?」

「あれは銃殺刑ではなくて狙撃だろう」

 そうだったなと呟く大使に俺が付け足した。

「当時のアメリカ合衆国の大統領、リンカーンは劇場の客席で後方から撃たれたそうです」

 確か頭部にあたり、落命した。

 選挙で選ばれた国家元首にも反対派は存在し、命を狙う。どこもかしこも世知辛い。

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