四
女主人がほかの招待客に挨拶する為に離れ、召使いがゴルツ大使をこちらへと案内しようとする。大使は俺にも来いと眼差しを向け、俺は肯き、従った。
付いていった先の書斎にヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵がいた。やはり控えめの灯で、本の文字は既に読み取りにくくなっている。窓を開け放ち、薄手のカーテンが微風に揺れている。
ご機嫌よう、と伯爵が声を掛けてきた。
「ご機嫌よう、グイド」
「ご機嫌よろしう、お招きいただき有難うございます」
伯爵は鷹揚に肯いた。
「あれがね、初代のフランス皇帝の誕生祭で好きに出歩けなかった、通りがうるさかったと、お冠になっていた。憂さ晴らしをしたらと言ったら、盛大な催しをしたいと言ってきた。
騒がしいかも知れないが、楽しんでいってくれ」
「ナポレオンの生誕祭なぞ巴里では毎年の行事だろう」
プロイセンにとって仇敵でも、フランスにとっては現皇帝の伯父で、一代の英雄だ。
「自宅の門をしっかり閉じて不心得者が侵入してこないか用心していなければならないのでは、祭りで浮かれる気にならない。自分が大声を出すのは平気でも、他人の大声に我慢できないように人間できている」
「そこまで分析できていて女の気を紛らわしてやろうとするとは、全く男の鑑だ」
伯爵よりも十ほど年長の大使は容赦がない。
「皮肉を言わないでくれ」
「いや、こちらは感心しているのだ」
伯爵は大使との会話に飽いたのか、年弱の俺に話し掛けてきた。
「あれは、テレーズは宮廷嫌いだ」
「王党派なのですか?」
伯爵は困ったように笑ってみせた。
「いや、テレーズは王家もボナパルト家も好まない。
昔、別の男性と付き合っていた頃、男性が宮廷に呼ばれて同伴してくれたのに、男性だけが広間に通されて、テレーズが控え室に閉じ込められた経験があって、それ以来権威を嫌っている」
それはそれは気の毒にと言いたいが、当時のラ・パイーヴァの職業ゆえだったのではなかろうか。
俺の疑問を当然と読み取って、大使が口を挟んだ。
「その男性とは婚約した仲だったから、宮廷の大広間に通されるはずだと信じていたそうだ」
はあ、と気の抜けた返事をしてしまった。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵の後援を受けるようになるまで、一体どんな男性たちとどこまでの交際をしていたのかと、数えるは無駄なような気がする。とにかくその時は高級娼婦ではなく、宮廷に出入りできる身分の男性と婚約したのに無視されたと憤り、その感情を忘れず抱えている。
「マダムは伯爵と出会われて、巴里で一目置かれる存在になったと感謝されているのではないのですか?」
「ああ、感謝してくれる」
貴族の令夫人さえとても及ばぬ贅沢をさせてくれる後援者への感謝か、配偶者同然の男の優しい愛情への感謝か、複雑だ。
女の我が儘を許せる度量と収入があると余裕のある顔をして、弱気は一切窺えない。大貴族の矜持は小市民と程度が違う。