八
ルイーズはナポレオン1世の誕生祭に気になる相手から誘われなかったそうで、何やら不機嫌だ。
「ロージャったら、どうしてナポレオンの誕生日を祝わなくちゃいけないんだと言っていたくせに、男友だちから声を掛けられから出掛けるからなんて言うんですもの、ひどいったらありゃしない」
時々ルイーズが口にする『ロージャ』はどうやら留学生らしいが、そこは詳しく教えてくれない。
「故郷の国が昔ナポレオン1世と戦争をしたからって、今戦っていないし、自分だって勉強しに来ているのに、わたしの提案を断って、お友だちの申し出には直ぐに乗る」
母親のマリー゠アンヌは苦笑いをする。
「夜遅くにあなたを連れて歩くのは良くないと思ったのよ。それに学生さんは学生さんたちで盛り上がることもあるから、放っておけばいいのよ」
ルイーズは唇を尖らせる。
「今度ロージャに誘われたって知らない振りしてやるんだから」
恋に恋する年頃で、好奇心のまま突っ走られても困るから、放置するなり、無視するなり、少し気を持たせて、澄ましているのが丁度いいのだろう。蕾の内の安売りはよろしくない。
「お兄さんはプロイセンから来たけれど、お祭にお姉さんと一緒に仲良く出掛けるだもん。わたしぜえったい家から出ない」
よく判らない理屈だ。
「お兄さんはナポレオン1世は嫌い?」
正直、欧州を引っ掻き回した一代の英雄に好きも嫌いもない。
「さて、ナポレオンのお陰を被って得した祖父もいれば損をした祖父もいるからね。そこは単純に決められない」
アレティン家の祖父は成り上がったが、リンデンバウム伯爵家の祖父は落ちぶれた。国の情勢にも影響を与えた。カレンブルクは当時有利に回ったが、プロイセンに併合された今となっては、どう評価したらいいものか、俺には判断が付かない。
「こうして巴里で出会って、皆と語り合える機会を作ってくれたのなら、感謝すべきかも知れない」
俺とベルナデットの邂逅のきっかけの一つなのであれば、そうすべきだろう。ベルナデットに視線を向けると、彼の女は同意するように微笑み、肯いてくれた。胸中に寄せて返す波が一つの調子で二人の足元を洗う、充たされる思いだ。
羨ましい、早く大人になりたい、とルイーズは悔しそうに言った。
そんなふうに言っていられるのもほんの少し。あっという間に年齢を重ねていく。こうして、ささやかながら、和やかな夕食の席を囲んで会話していると、時間が経つのを忘れてしまう。
ベルナデットの部屋を出て、祭りの話をしているうちに、夕食を食べていってとマリー゠フランソワーズから勧められて、そのままご馳走になった。『ティユル』での賄い料理だけど、と伯母は謙遜する。しかし、俺が来ているからと一皿余計に考えてくれていたらしく、女性ばかりの食卓でも充分に目を楽しませてくれる。野菜の煮込みと焼いた鶏肉を銘々皿に盛り付けて、並べてくれた。ドライフルーツの入ったプディングと果物、チーズと、普段はこれほど揃えないのだろう。ルイーズが驚きを交えて喜んでいた。
「事前に知っていればもっときちんとした献立を考えていたのだけど」
「いいえ、伯母上、甥に気遣いは不要です。俺が勝手にお邪魔しているのです。かえって皆さんの分が足りなくなるのではと恐縮しています」
「男の人が小食なのは逆に心配になるから、気にせずに」
お針子たちは台所で食事をしているのだが、そろそろ食べ終わったのか片付けをしているらしい音が聞こえてくる。
もう少しここに留まりたいが、明日の仕事に差し支えるのは良くない。暇乞いをしなければ。いつでもここに来られて、出迎えてくれるのだから。




