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君影草  作者: 惠美子
第三十一章 煌めく街の灯
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 優しい言葉だ。優しい女性に寂しい想いをさせてしまった。だが、仕事と私事の区別は大事だ。

 棘を引っ掛け、ささくれた肌の傷の痛みが治まらない、そんな息苦しさが漂った。お互いに、いや、彼の女の心を鎮めなければならない。

「マ・シェリ」

 俺は立ち上がり、ベルナデットに歩み寄り、手を伸ばした。彼の女の顔に触れ、彼の女は俺の手に手を重ね、目を閉じた。

「側に座っても?」

 目を閉じたままベルナデットは答えた。

「駄目」

 寝台に並んで腰掛けていたら、誤解を呼びやすいのは儀礼(マナー)として心得ている。家人が急用で入ってきて見られたら、決まりが悪い、マリー゠フランソワーズが小言を言いかねないと、気になるだろう。

 俺が抱き寄せ、口付けすれば、機嫌が直ると単純に考えているのではないかと、ベルナデットが頑なになっているのかも知れない。

 正直、彼の女を抱き締めたい。こうしてベルナデットの頬の体温、肌の瑞々しさを手に感じ、更に強く求めたい。

 だが、俺はベルナデットに誠実にありたいと願い、彼の女にも伝えた。色事だけを二人の結び付きにしたくない。

「あなたが許してくれないのなら、その通りにしよう」

 手を引こうとして、その手には彼の女の手が添えられている。

「有難う。でももう少しこのままでいて」

「耐えるのが辛いが、あなたの仰せのままに」

「そうよ、置いていかれる気分にさせられたのだから、これくらいの我が儘きいてちょうだい」

 ベルナデットはしばらく動かず、やがて目を開け、俺の手にもう一度頬ずりし、口付けして、離した。仕合せな肌の心地が去った。

「こんな気持ちになるのは、あなたが好きだから」

「ああ、判っている。あなたの気は済んだ?」

「判らない。少し落ち着いたけれど、まだ喉元に魚の骨が刺さっているよう」

 ほんのひとときでほぐれるもつれではないのだろう。人の心は櫛で髪を梳くようにはいかないようだ。ベルナデットの黒髪に指を絡ませたい、肌に手を這わせたい心を押し込めながら、彼の女を虚心で見ようと後ろに下がり、椅子に掛けた。距離を取らなければ、平静でいられない。

「そうだ、今月の十四日か十五日、夜に出掛けないか? 皇帝の――ナポレオン1世の誕生日が八月十五日だから、十四、十五は催し事をすると聞いている。それに一緒に行こう」

 ベルナデットは、そんなことがあるのかと、俺に眼差しを向けた。ああ、カトリックでは聖母マリアの何かの祭日だったか。確か聖母被昇天祭。俺はプロテスタント圏の出身だから、育った環境で聖母マリアの記念日に大きな祭りはない。

 フランス革命でカトリックは一時衰退したが、王政復古と帝政でまた教会の勢力は盛り返している。ベルナデットが――ラ・ヴァリエール家がどれくらい信心深い生活をしているか、これを機会に教えてくれるだろう。

 ベルナデットはやや迷いを見せつつ、俺の誘いに前向きな態度を示した。

「面白そう。街灯に工夫をして照らしてみるのよ」

 聖母像を輿で運ぶとか、ミサに行くとかの返事でなくて、ほっとした。

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