四
俺は努めて冷静を装った。
「ルイーズは『ドン・カルロ』の席で居眠りはしなかったか?」
はぐらかされたとベルナデットは口を曲げたが、気を取り直したように、答えた。
「お互いに二回くらいつねったからしら」
「二回で済んだのならマシだろう。頭がぐらりとなった方々だっていた。俺より身分の良い方々だったから、つねり上げる訳にもいかなくて、舞台と隣席の両方が気掛かりだった」
駐在武官は所詮下っ端だ。仕事の苦労の内とベルナデットはそこのところは理解してくれたようだ。
「お芝居を純粋に楽しめないのはお気の毒ね」
しかし、話がそれで終わるはずがなかった。
「それで、プロイセンからの大使のお供だったというけれど、大使の席ではなくて、別の貴族のボックス席にいたのは何故なの?」
「それはその方がゴルツ大使個人の友人だから。
ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵。あなたも名前は聞いたことがあるのだろう? 王家に劣らぬ古い家系を持つ一家で、ビスマルク宰相閣下とも親しくて、多くの工場や商会を所持しているプロイセン王国の有力者。駐仏プロイセン大使が巴里にいて無視できる相手ではないし、実際頻繁に連絡を取り合っている仲だ。その伯爵から招待されたら断れない。そして俺は大使館勤めで、大使のお供の命令を断れない」
ベルナデットは大人しく説明を聞いている。
「ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵は後援している女性を連れてくると事前に大使に告げていた。だから女性を同伴していかなくてはならない。大使は巴里に遊びに来ていた親戚の子爵令嬢を、そしてレヴァンドフスカ伯爵令嬢を招待した。大使は子爵令嬢、俺はレヴァンドフスカの手を取ることになった。
そんな事情であなたを誘えなかった。真逆同じ晩にオペラ座に行くとは知らなかった」
一通りの説明を聞き、ベルナデットは自らを納得させるように肯いた。
「あなたの連れとして華やかな場に行ける機会があるのかしら?」
自嘲を含んだ声色に、ベルナデットの自尊心の痛みが俺に伝わる。
「きっとある。だからそんな顔をしないでくれ、マ・シェリ」
ベルナデットはかぶりを振った。
「いいのよ。あのボックス席にいたのはご立派な貴族な方々ばかり。それにあなたは伯爵様が後援している女性だなんて名前を出さなかったけれど、以前は良識のある人たちが眉を顰める仕事をしていて、外国の侯爵と結婚したからその称号を堂々と名乗っている女性がいた。
平民で仕事を持っている女じゃ、そんな方々がいる場には不似合いだと判っているの。ただ、一言、事前にあなたに教えてもらいたかった。それだけ」
「いや、逆に俺はあなたをあの場に連れていかなくて済んで良かったと思っている。いくら侯爵夫人の称号を名乗っているといっても、元娼婦には違いない。そんな女性とあなたを会わせたくなかった。
大使がヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵にほかの貴族の女性に引き合わせて、交際や結婚を促せないかと勝手に進めた顔ぶれだ。俺は単なるおまけで、護衛だ。
ボックス席なんて狭い場所で長時間一緒に過すのは、気を遣って疲れるだけ。宴席なら、自由に動き回れる、そんな機会があるから、それに同伴してもらおう」
「有難う、モン・シェリ」
「仕事の内容によっては全て話せないと、あなたも判っているだろう?」
「ええ、よく判っている。
それでもわたしはあなたとできるだけ一緒にいたいと思うし、あなたの役に立ちたいと願っているの。
今わたしの心にあるのは我が儘に過ぎなくて、気持ちの持っていきようがなくてあなたに当たっている。
ごめんなさい。でも口に出さずにはいられない」




