十五
「従妹は近々オペラ座に行くつもりだと言っていた。それが何時か――もしかしたら今晩かは聞いていない」
ベルナデットが顧客に招かれて家族共々オペラ座に来ていてもおかしくない。俺は声をひそめて答えた。
「そう、あまり会う機会がないというのは本当なのね」
以前かなり強く言って聞かせたから、その通りに覚えていたようだ。
耳聡く、フロイライン・セッケンドルフが俺たちの会話を聞き取った。
「巴里にご親戚の方が滞在されているのかしら?」
ゴルツ大使の従妹だ。大使の前で下手な誤魔化しはすまい。
「ええ、フロイライン・レヴァンドフスカがお話になったのは母方の従妹のことです。カレンブルクの、リンデンバウム伯爵家の最後の当主の姪です」
「母方、というと貴方のお母様もリンデンバウム伯爵家のご出身でいらっしゃるの?」
「ええ、最後の当主の妹が私の母です」
爵位のない俺が伯爵家と縁があるのは何故だろうと、悪気のない好奇の輝きが見えた。だが流石に思ったままを口にするような女性ではなかった。興味を満たすにはリンデンバウム伯爵家とアレティン家、双方の事情を説明しなければならず、それが大恋愛だろうと、金銭絡みや因縁絡みだろうと、俺が嫌がると、貴族社会の複雑さから察してくれたようだ。
「ほう、カレンブルクの」
とヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵も話を聞いていた。
「リンデンバウム伯爵家の最後のご当主というのは?」
「私が少年の頃、十年ほど前に亡くなった伯母です。伯母は独身で後嗣がいなかったので、リンデンバウム伯爵家はそれで終わりになりました」
ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵は記憶を探った。
「カレンブルクの昴に行ったことはあるが、リンデンバウム伯爵は存じ上げない。申し訳ない」
「いいえ、最後の当主――、伯母はあまり社交の場に出ませんでしたから、当然です」
伯爵はそれ以上尋ねてこなかった。
有難いことに、ほかに詮索しようとする者もいなかった。
レヴァンドフスカが見掛けたのが本当にベルナデットであるのなら、彼の女は俺に気付いただろうか。ここはほかの客席からも目立つ場所のボックス席だ。顧客のご婦人から、あの席にいるのはヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵、或いはラ・パイーヴァと呼ばれる高級娼婦と教えられて、目を向けたら俺がほかの女性を連れ、同席していると、驚いているかも知れない。
その可能性を思うと、仕事とはいえ、ベルナデットの気持ちがざわついていないかと、胸が重い。不自然にならないように客席を見回しても、ベルナデットを見付けられない。ここで道に迷った子ども同然に乗り出して、親を探すような真似はできない。明日、は無理でもなるべく早くに『ティユル』に行って、ベルナデットと話がしたい。ヴェルディの音楽が響いているのに、知らない国の言葉を聞かされているかのように、頭に入ってこなかった。
『ドン・カルロ』が終わり、感想やら世間話をする間、心が彷徨わないよう、自分を抑えた。礼を失せずになんとかやり過ごして、帰途に就く。俺は当然、小娘を宿まで送っていってやらねばならない。
「ご機嫌よろしう」
「ご機嫌よろしう、良い夜を」
挨拶を終え、結局オペラ座でラ・ヴァリエール家の人たちの姿を見掛けなかったので、小娘の勘違いか悪戯か、それを願いながら、大使館の馬車に乗り込んだ。
「ホテルのロビーではなくて部屋まで送ってください」
侍女は芝居で待っている間居眠りしていたようで、ぼんやりしている。見張り役の役にも立たない。




