十四
レヴァンドフスカはラ・パイーヴァとどう話したらいいか迷っていたが、思い切ったように言った。
「民の母となるなら、やはり民の父たる国王とは、民の手本の夫婦であると証明しなくてはならないでしょう。ですから、公女様だけがエルザと呼ばれているのでなくて、公女様も国王様をローエングリン、ジークフリードとお呼びしているのではなくてはおかしいし、そうでなくては公女様は詰まらないと思ったんです」
好き合って結婚を決めた同士なら、その理屈は成り立つだろう。だがルードヴィヒ2世の場合、それは怪しい。元から親戚同士で古くから付き合いがあるので、気心が知れていて、好もしいと感じていても、それが恋愛と同じとは言えない。
「フロイライン・レヴァンドフスカはお優しいのね」
真直ぐ過ぎる主張をそう評するしかない。
「愛情を抱き合っていても、この舞台では結婚に結びつかない。世の中は一筋縄ではいかない」
ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵はラ・パイーヴァに語り掛ける。このご仁はレヴァンドフスカを紹介しようとしまいと、長年の付き合いの歳上の女性だけしか眼中にないようだ。事業拡大を図る非情な事業家でもあるこの貴族は、ラ・パイーヴァを唯一人の女性と思い定めていると、傍で見ていてよく判る。判っていないのは、家柄の釣り合いで結婚を決めるべきだと思い込んでいる人たちだ。
「世の中の規範よりも、その規範から外れた行いをした人が後の世の人の心を動かすのは何故だと思います?」
ラ・パイーヴァは夫に等しい男性に問い掛ける。伯爵は微笑した。
「さあ?」
答えずとも理解してくれているだろうと、自信に充ちた眼差しが語っている。
「大尉はご意見がある?」
今度はこっちに来たか。
「規範は必要です。無秩序であれば、弱き者が虐げられたまま、強者が勝手な真似ばかりする。ですが、世の中の秩序と、心の動きは時として相反します。その相反した心の葛藤が、今も昔も繰り返されてきて、身につまされる、共感と感動を呼ぶのではないでしょうか。
『ロミオとジュリエット』の物語に粗削りな印象がありながら、舞台に大抵観客が入るのはその為ではないでしょうか」
咳払いがあった。
「舞台の恋人たちを我が身に置き換えて涙する。素晴らしい」
ゴルツ大使が話を終わらせた。『椿姫』を例に出さなかったのだから、大使も少しは乗ってもらいたかったのに、興が削がれた。大使の勝手な企みは最初から無茶があった。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵がレヴァンドフスカにもフロイライン・セッケンドルフにも興味を抱かない、それよりもラ・パイーヴァへの執心を目の当たりにして、機嫌がよろしくない。外交官といえども、交渉がいつも捗るとは限らないらしい。腹の底で笑ったが、大使が厳しい視線を送ってきた。注意していよう。
次の幕は始まっている。お喋りよりも歌劇に集中するべきか。しかし、レヴァンドフスカが扇を使いながら俺に囁いた。
「先刻、ロビーで、グランドホテルでお会いした貴方の従妹さんをお見掛けしたと思って、ついそちらに気を取られてしまったの。でも、はっきりと判らなかったし、もし貴方の従妹なら、ここに来ているかどうかくらい知っているわよね?」
水面に雫が落ちて響いていく波紋を抑えようとしたが、顔色に出たかも知れない。




