五
伯母の顧客の配偶者がオペラ座のボックス席を借りているなら、社会的に成功した裕福な階層の人間だ。もしからしたら貴族の称号を持っているかも知れない。そういう人たちの招待を受けるのだから、『ティユル』は女性の顧客に人気があるのだ。顧客の信頼を裏切るような真似はさせられない。ベルナデットを連れて、大使館やフランス貴族の晩餐会に連れていくのはできても、高級娼婦が同席する観劇には伴えない。顧客にそんな姿を目撃されたら、ベルナデット、ひいては『ティユル』の評判が落ちてしまう。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵はプロイセンの王家と肩を並べられる程の家柄と言い張ってみても、フランス人には所詮外国の貴族で、高級娼婦の後援者の大金持ち。
ラ・パイーヴァのこれまで付き合ってきた男性陣の名前を挙げればきりがない。ただの街娼同様だった彼の女に教養と人脈を与えたドイツ人のピアニスト、社交界に連れ出し多額の金品を与えたイングランドの貴族、入れ揚げた末に結婚までしたものの、貴族の令夫人の称号を名乗れれば充分だからもう用無しと初夜の翌日には捨てられたポルトガルの侯爵。貴族や金持ちが元は東欧から流れてきた身許の知れぬ女性に鼻面を引きずり回されていると、庶民は愉快がるが、実際身近で、付き合ってみたいかは別物だ。男と女のすることにそんなに金品を使うものなのかと、晩飯の葡萄酒がやっとの楽しみの男は思うし、幾ら王侯やブルジョワとお付き合いできて贅沢し放題だからといって不道徳な生活をしていてよく大きな顔をしていられるものだと女は思うだろう。
人間の持つ、隠しおおせない欲望を体現しているからこそ、高級娼婦は憎まれ、嫉妬される。
ラ・ヴァリエール家の人たちを、ベルナデットをその嫉視の中に入れてはいけない。俺の職務とは全く関わりないのだから、どんな手を尽くして守らなければならない、大切な人たちだ。
俺の為に要らぬ面倒に遭わせられようか。
伯母に観劇の為に身を飾る宝飾品なら幾らか巴里に持ってきている物があるから、よろしければお貸ししますと申し出た。
「そうねえ、もし出掛けるのなら店の宣伝も兼ねて洒落こまなくてはいけないわね」
「お客様より派手にならない気を付けなくっちゃ」
ベルナデットは伯母と笑い合った。
伯母の部屋を辞して、ベルナデットは自室に案内してくれた。今日はきちんと扉を開けて入れてくれた。慌てて片付け、掃除した観はない。見ていて普段から綺麗にしているのだと感じた。
「この前は縫い掛けの服を広げていたのよ」
ベルナデットは言い訳を口にした。
俺は机の椅子に座り、ベルナデットは寝台に腰を下ろした。
「どんなひどい部屋かと想像していた?」
「真逆、あなたがそんなだらしない女性だと思っていない」
ベルナデットは嬉しそうでもなく、曖昧な表情を見せた。おや、気掛かりというか、俺の読みは外れていたのかと、焦ってしまうな。
「店はまだ閉めないのだろう?」
「ええ、でも予約が入っていないから、片付けながら時間潰し」
「俺たちはここで過しても構わないと、マリー゠アンヌも許してくれたのだろう?」
「まあね」
「晩ご飯の前に甘美さを楽しまないか?」
ベルナデットは俺を睨んだ。
「あなたが欲しいだけでしょう」
「あなたは欲しくないのか」
「ここには家族もいるし、従業員もいる。これから晩ご飯の支度もしなくちゃいけない」
広い邸宅のように個々人の部屋が離れていると言えない構造だが、何でも筒抜けにはならないはず。しかし、ベルナデットには気恥ずかしいか。
「疲れたくない」
「疲れなければいいのかな?」
ベルナデットは俺の腕をつねった。眠くはないのだが。




