三
サン゠ジェルマン゠デ゠プレ教会を間近に眺めながら、ミサに寄りはせず、心の中で祈りつつ(俺はカトリック信者ではないからいいのだ)、そしてベルナデットは神妙な顔つきで十字を切っていた。毎週教会に行くほどの熱心さはないと語っていたが、流石に教会に通り掛かれば敬虔な信仰心が呼び覚まされるのだろう。伯父が結婚しようと決意した愛情と責任感が、ぴたりと背中に貼り付いた気分になる。
『ティユル』は日曜の定休日なので、裏に回って、ベルナデットは扉を開けた。
忍び込むようにそっと入ったつもりなのに、音楽付きで帰宅したかのように、二階から足音が慌ただしく響いてきた。
「お帰りなさい、お姉さん」
ルイーズが元気よく下りてきて、出迎えてくれた。帽子を取ろうとしていたベルナデットは驚いて手を止めた。
「只今帰りました、ルイーズ。みんな起きているのかしら?」
勿論、とルイーズは肯いた。
「こんにちは、お兄さん」
「ご機嫌よう、マドモワゼル」
盛大な出迎えに冷静さを保ちながら、愛想よく挨拶した。マリー゠フランソワーズとマリー゠アンヌにもにこやかにかつ品よく対処しなければいけないと、話題の持ち掛け方を組み立てようとしていたが、今ので吹き飛んだ。ベルナデットを心配しているだろうし、興味も尽きないだろう、女性からの追及に耐えきり、信頼を守らなくてはならない。人数からして敵わない。前線に立って、攻撃の出方を観るべきだと、改めて覚悟した。
「ベルナデットを送ってきた。伯母上にもご挨拶したいから、案内してもらえるかな、マドモワゼル?」
「ええ、是非連れてきなさいと言われていますから、どうぞ」
ルイーズは朗らかに言って、階段を指して、上っていった。
やれやれと顔を見合わせて、俺たちも続いた。ルイーズが居間の扉を開けた。
「お連れしました」
マリー゠フランソワーズとマリー゠アンヌはさぞ待ちかねていたのだろう。物に掴まって立ち上がろうとする赤ん坊を監視する乳母のようだったが、俺たちの姿を目にして、しっかりと立って歩き始めたと胸を撫で下ろすが如く、俺からすると大袈裟なくらい、和らいだ表情になった。
幾らリンデンバウム家と縁のある人間が相手といっても、娘や妹を心配するのは当然なのだろうし、成長期真っ只中のルイーズが好奇心丸出しでいるから、ここは双方穏やかに収めたい。
「ご機嫌よろしう、皆様」
「こんにちは、我が甥」
「只今帰りました」
ベルナデットはいつもそうしているように、母と姉に声を掛けて、頬に接吻した。ベルナデットが帽子や小物入れを片付けてくる間に、俺は勧められた席に着き、ルイーズの淹れてくれたお茶をいただいた。
ベルナデットは直ぐに居間に戻ってきた。
「お芝居はどうだったの?」
「面白かったわよ。最初から全部詳しく教えるのがいいかしら?」
そうして欲しい、と伯母のマリー゠フランソワーズが言うので、俺とベルナデットで役割分担をしながら、覚えている台詞を掛け合い、筋を紹介した。
「意地悪な恋敵がいると苦労しちゃうのね」
ルイーズがもっともらしく感想を述べた。
「でも素敵、最後は素敵な侯爵様と結婚できるんでしょう?」
「そういう終わり方だったわ」
「コメディ゠フランセーズで掛かっているお芝居なんて、終幕に主人公たちが結婚するのに、二人とも死んじゃうって話だっていうから、ヘンなのって」
コメディ゠フランセーズで上演されている『エルナニ』は恋愛だけが主題ではない。政治の有り方や復讐、愛国心をそれぞれ訴える台詞回しが聞かせ所になる戯曲だった。機会があれば観てみたい。
「それでお姉さんはお兄さんの家に泊まったんでしょ? どんな部屋だった?」
無邪気というよりも大人の交際振りを知りたいルイーズが遠慮なしに訊いてきた。




