二
ベルナデットは重ねた俺の右手から俺の顔へと視線を移した。何事もなかったかのように自分の手を抜き、俺の右手の上で、彼の女の人差し指と中指が踊った。
「それならパン・ペルデューを作るくらい充分できる」
二本の指はステップを踏むように、手の甲から肘の側まで昇ってきた。
「多分。それにほかにもできることはある。
あなたが望むなら幾らでも肌を撫でよう」
彼の女の指は甲に戻って、お仕置きなのか、軽く叩いてくれた。
「撫でるだけであなたは済ませないでしょ」
「異論はない」
“mon chéri.”
愛しい人の呼び掛けに俺はベルナデットの顔を見直した。
「わたしは今仕合せな気持ちで一杯よ。でも少し不安」
「不安を感じる必要はない」
俺はベルナデットの手を取り、彼の女は俺の手を握り返してきた。温かい白い手。手入れしているのだろうが、針仕事でやや硬くなっている指先、ふっくらとした掌を包み込んだ。
「俺がプロイセンから来た軍人だから?」
「いいえ」
「それならどうして?」
「あなたの部屋に泊まったからといって、わたしを蓮っ葉だなんて思わないで。
あなたを想えば想うほど、あなたからどう思われているか怖くなってくる」
ほかの女がこんな風に縋ってきたら芝居かと疑うが、ベルナデットが訴えるのなら真情を吐露してくれていると信じられる。出会ってからお互い忘れ難く、やっと星の瞬きを見ながら語り合い、寄り添い合って朝を迎えた。俺は彼の女を求め、彼の女は俺を求めた。
女性の立場からすると未婚の身で性急にことを進めたと、髪を乱したまま出歩く中途半端な覚束なさがあるのだろう。
だが、これは火遊びではない。きちんとした約束をしていないが、俺は一夜限りとか、巴里に居る間だけとは考えていない。ベルナデットは得難い女性だ。従兄妹というものの、生まれも育ちも何もかも違っているのに、俺の心を占め、為人を知りたい、共に過したいと欲する、今までにいなかった女性。
「仮初に花を手折った男と思わなでくれ。あなたの言葉、視線一つで俺の寿命が変わってしまう。
“ma chéri”」
俺の返した呼び掛けに、ベルナデットは喜色を隠さなかった。
「モン・シェリ」
俺は握りしめた手を緩めて、彼の女の手をくすぐった。側にいて、彼の女に触れていると、どうしても止められない。遊びではない。渇きを癒す為に水を求めるように、彼の女の温もりを深く感じていたくなる。
「今日はおいたしないで」
ベルナデットがさっき同様、軽く手を叩いた。
「家に帰らなくてはいけないのだから」
寿命が縮むというより、針で刺される痛みだ。ベルナデットとて我慢して言ってくれているのだろう。浮き世の事情はままならぬ。小娘と呼ばれる年齢でなくても、人妻ではない。それに身持ちが悪いと言われたら、彼の女自身の評判に、仕事に関わってくる。忠実で、白い間柄の従兄であると振る舞わなければ、辛い。
ベルナデットは服の色に合わせたボンネットの帽子を折りたたんで持ってきていた。布地の皺を伸ばしながら、帽子を広げた。日中の外出としては申し分なさそうな姿に装った。
今度はいつベルナデットと二人きりで過せるだろうかと、まるで誕生日の贈り物を待つ子どもになったみたいだ。
「ではお送りしましょう、従妹殿」
意地悪ね、とベルナデットは口角を下げた。これくらいはいいじゃないか。