十二
コメディ・フランセーズが第一フランス座なら、オデオン座は第二フランス座と位置付けられている。だからといってオデオン座が二番手ばかり、二流の劇場とは言えない。ボックス席を買う真似はできなかったので、正面、前方寄りの席を取った。ここなら二人並んで、芝居そのものをじっくりと観られる。
『ヴィルメール侯爵』の幕が上がった。題名になっているヴィルメール侯爵は歴史の研究に熱心な控え目な青年で、社交的で浪費の多い異父兄アルリア公爵がいる。母親のヴィルメール侯爵夫人が二回結婚した結果で、第一の結婚でアルリア公爵、第二の結婚でヴィルメール侯爵を授かった。侯爵夫人は未亡人で、最初の結婚よりも次の結婚の方が仕合せであったと、話相手に新しく雇った没落貴族の娘、カロリーヌに語っている。
このカロリーヌ役の女優、ゴルツ大使が、かつてモルニー公爵が後援をしていたと教えてくれたサラ・ベルナールだ。登場した時に、すらりとしていると表現すれば言葉はいいが、はっきりいってかなりの痩せ型だ。ベルギー王室の一員との間に子どもがいると聞いているが、苦労しているのだろうか。ルドルフ・シューマッハの妻の友人、カテリナ・グリューンも女優だが、彼の女は大分豊頬でぽっちゃりした印象だった。サラ・ベルナールはヒロインとして魅力的なのだろうかと危ぶんだが、直ぐに気にならなくなった。充分素晴らしい。ほっそりとしているが長い肢体の繰り出す的確で、それでいて優雅さを損なわない動き、美しい声と抑揚の優れた台詞回し。観客を魅了する。
カロリーヌはヴィルメール侯爵夫人の二人の息子から愛される。カロリーヌは実直なヴィルメール侯爵を慕う。兄は弟たちの仕合せを願って身を引こうと決意する。ところが、カロリーヌを妬む女友だちが夫人にカロリーヌを悪く言い、それを信じた侯爵夫人はカロリーヌに暇を言い渡す。カロリーヌは泣く泣く姿を隠すが、息子は母親の誤解を解き、カロリーヌを探し出す。
お決まりのめでたしめでたしのオハナシだが、この女優を得て、面白く仕上がっている。終幕、強く拍手を続けたのは、義務だからではない。訴えかけられてくる台詞や仕草から、苦悩と喜びとが観客の胸に迫り、架空の世界と知りながら、共に仕合せを分かち合いたくなる感動を起こした。
鳴りやまぬ拍手に、俳優たちは何度も舞台に出てきて礼をした。
目立つのはやはりカロリーヌ役のサラ・ベルナールだ。成程モルニー公爵の目は確かだった。この先も女優を続ける意思があるのなら、今後も様々な役で巴里の話題になるだろう。芝居に行く余裕があるのなら、この女優の成長ぶりを拝見していくのも一興だろう。
「侯爵夫人が悪口を真に受けて、カロリーヌを侮辱する場面はこちらもハラハラしてしまいました」
ベルナデットは素直に感想を述べた。
「でも誤解だと判って、良かった。カロリーヌがヴィルメール侯爵と手を取り合って、こちらも思わず本当に泣きそうになりました」
筋立てだけなら至極単純なのだが、心に響く芝居だった。
「ヴィルメール侯爵ならアルリア公爵よりも良い配偶者になりそうだ」
じっとベルナデットが俺を見上げた。
「何?」
「お芝居に感心する所はそこなの?」
「えっ? カロリーヌが侯爵夫人に言われて身を隠してしまう心情の吐露はこちらも聞いてきて、辛いと感じたし、最後は二人の恋が報われたと大拍手した。
それにオデオン座は素晴らしい俳優ばかりだ。感心した」
俺が言うと、どうも散文的になってしまう。虚構と判っていながら、観客の感動を引き出すのは見事だと思うのは本心だ。
ベルナデットは真面目に問い掛けてきた。
「もっとあなたお話したいわ。いいでしょう?」
俺に否やはない。
参考文献
『愛の妖精』 ジョルジュ・サンド 篠沢秀夫訳 中公文庫
『ヴィルメール侯爵』そのものの翻訳は見付けられませんでしたが、『愛の妖精』の中に翻訳者が「代表作解題」と『ヴィルメール侯爵』の内容を紹介しておりましたので、参考にしました。
将来の大女優サラ・ベルナールはほっそりとした体型を活かして、男役もこなし、「ハムレット」や「ロレンザッチョ」のタイトルロールを演じました。




