八
午前中の内に手持ちの中から今日に相応しい服や小物を選んでおいた。午後になってから髭の剃り残しがないか鏡とにらめっこをして、着替えた。
まあ、見てくれは悪くない仕上がりだ。夏向きに濃い目の青で仕立てた一式と多少の工夫を付け足してみた。女性受けは良かろうと思う。
階下に降りて、マダム・メイエに外出と帰りが遅くなる旨を告げた。
「行ってらっしゃい」
見送るでもない、静かな一瞥と決まりの言葉を背に館を出た。
夏至を過ぎたといってもまだ七月の末で、日は西に進み始めても、まだまだ沈まず、明るい時間帯は続く。
寄宿先から『ティユル』、そしてリュクサンブール公園やオデオン座となると、俺が往復するのに近くなるから待ち合わせにしようと、ベルナデットは提案してくれたが、帰りが遅くなるし、仕事を早上がりさせるのだから、きちんとマリー゠フランソワーズとマリー゠アンヌに挨拶したいと、俺が迎えに行くと言い張った。巴里で馬車を所有している訳でもないのに、男の見栄だ。
シャン゠ゼリゼ大通りからコリゼ通りに入り、『ティユル』の扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
明るく若い声が響いた。一番に出迎えてくれたのはルイーズだった。
「ご機嫌よう、マドモワゼル」
「こんにちは、お兄さん」
我慢できないように、にこにこ、くすくすと笑いを洩らす。
「お姉さんはおめかしして、待ちかねています」
「こんにちは。こら、大人をからかっちゃいけません」
マリー゠アンヌが俺に挨拶し、娘をたしなめた。
「ご機嫌よう、マダム。
お仕事のお邪魔をして済みません」
「いいえ、構いませんのよ。妹ときたら、今日はもう仕事にならないんですから、早く連れていってやってください」
ベルナデットは楽しみにしていてくれたと、一つ重しが取れた気分だ。
「ベルナデットを部屋に迎えに行けばいいので? それに伯母上にも挨拶したいのですが」
「この子が案内します」
マリー゠アンヌはルイーズの肩を叩いた。ルイーズは大きく肯いた。
「上に行きましょう」
準備万端整って、今か今かと部屋で待ち構えているのか、それとも帽子が曲がっているだの、化粧が変ではないかと、悩んでいるのか。女性の身支度はどこで満足するのか難しい。
二階に上ると、まずは伯母の部屋にとルイーズが先に立って行くので、それに従った。扉を叩き、返事が来た。
「失礼します」
と、扉を開けると、部屋にはマリー゠フランソワーズとベルナデットがいた。良かった。ベルナデットはきちんと出掛けられる姿で待っていてくれた。中途半端な着付けや化粧でもたもたしていたらなど、ちらとでも考えた俺は莫迦だ。
「ご機嫌よう、ご婦人方」
「こんにちは、オスカー」
伯母は莞爾として、俺を抱き締めた。
「伯母上、今日はベルナデットと出掛けてきます」
「ええ、約束ですものね。行ってらっしゃい」
ベルナデットは輝くように美しい。淡い青や紫の色合いのドレスに軽い上着に、それに合わせた帽子を手にしている。琥珀の耳飾りとブローチで身を飾っていた。初めて会った時にも身に付けていたと、思い出す。
あの時から、俺は彼の女を気に掛け、忘れられなかった。
「あなたと一緒に出掛けるのが待ち遠しくて、今日は何回も時計を見ていました」
「俺もだ」
皆で笑い合って、しかし真面目な顔をして、俺はベルナデットに腕を差し伸べた。彼の女は右手を差し出した。
「では行ってきます」
下に降りたら降りたで、ベルナデットが外に出る前の仕上げの帽子を被るのに手間取った。




