六
「一旦言い出したからには、守っていただかなければ」
ベルナデットは俺を上手く言い負かしたと思ったようだ。勝気に振る舞ってみせようとするところが巴里娘らしいのかも知れない。
口惜しいがここでつべこべ言って出掛けること自体が取り消しになったら元も子もない。実際にその夜になってみないと、どうするかなんて彼の女自身判るまい。
「あなたの深い信頼と好意を得る為なら、騎士として守ろう」
やや憂いを含んだ、やさし気な青い瞳が微笑んだ。小波で揺れ続けていた水面がゆっくりと動きを止め、風の無い、静かで落ち着いた時間。
戦場での火薬と血と土埃の喧騒こそ似合いの世界と信じてきていたが、また違うものを人は欲すると思い知らされる。大切にし、手放したくない。
「母と姉に言ってくる」
ベルナデットは立ち上がり、俺の頬に口付けをして、家族のいる部屋へ踊りの足取りのように軽やかに向かった。
待つのはほんの少しの間なのだが、マリー゠フランソワーズやマリー゠アンヌが俺に何か言ってくるのではないかと、頭の中で幾つかの問答が浮かんでは消えた。男が想定しないことをするのが女性の常なのだから、無駄な行為とは知りつつ、何を言われてもうろたえないように努めようと心構えを固めた。
「お待たせしました」
とベルナデットが戻ってきたので、俺は席を立った。俺の側で、彼の女は立ったまま報告した。
「あなたと一緒に出掛けてらっしゃいですって。帰りが遅くなろうと、翌日教会に寄ってから帰宅しようと、好きにしなさいって」
乗馬の障害のバーを一つ飛び越えた気分だ。伯母は反対していない。
日曜日の朝に、教会のミサに顔を出すくらいならしてもいいが、俺はプロテスタントだから教会で懺悔する習慣はないぞ。
娘が朝帰りするかも知れないから、それも有りか。
「それと、母があなたの顔を見たいと言っています」
うっかりしている。順序としてそちらを先に済ましておくべきだったか。
「伯母上を忘れていたのではない。あなたと週末出掛けたいと申し込もうと、そちらで頭が一杯になっていた」
「母は判っています。とにかく来てください」
挨拶を後回しにしたからといって礼儀知らずと怒る女性ではないはずだが、伯母であり、ベルナデットの母だ。敬意を払っているのをきちんと態度で示さなければならない。
部屋に入ると、マリー゠フランソワーズは機嫌良く迎えてくれた。
「ご機嫌よう、伯母上」
「こんにちは、オスカー、わたしの甥」
手を取って接吻しようとすると、畏まる必要はないのよと、頭に手を伸ばしてきて、俺は素直に頬に口付けを受けた。
「お変わりないですか?」
「ええ、お陰様で。あなたもお元気そうで何より」
「いささか舞い上がっていて、ご挨拶が遅れて申し訳ない」
マリー゠フランソワーズは全く気にしていないと手を振った。
「若い人は同じ年代とお付き合いしている方が気が楽ですもの、わたしだって同じようなもの。
でも折角来ていただいたのだし、ベルナデットを観劇に誘ってくれたというのですから、挨拶とお礼はくらいはと思ったの」
「いえ、当然です」
「とんだ跳ね返りですけれど、ベルナデットをよろしく。大人同士なのですから、思慮分別はあおりと信じて心配していません」
「有難うございます」
「早い時間の上演だったらわたしも連れていってもらいたいのですけど、終わるのが遅いとどうしてもきつくなってしまいます」
針でちくちくと指先を刺される感覚だ。本音は心配している。
「大丈夫よ。帰ってきてからどんなお芝居だったか教えるから」
気付かぬ振りで通すのが賢いだろう。




