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君影草  作者: 惠美子
第二十八章 短い夏の夜
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 大使館を脱出して、シャン゠ゼリゼ大通りからコリゼ通りに入る。『ティユル』の看板を見て、ほっと一息ついた。やっとここに来られた。さて、挨拶の次になんと言って話を持って行こうか。

 まずは店に入らなければ。

 ガラス扉を開け、扉に着いた鈴が鳴る。

「いらっしゃいませ」

 マリー゠アンヌとベルナデットの声が響いた。いつもの通りの明るい和やかさ。俺は中に入り、帽子を取った。

「ご機嫌よう」

「まあ、オスカー。いらっしゃい、こんにちは」

 マリー゠アンヌとベルナデットは口々に言って、ベルナデットが俺の帽子を受け取ってくれた。

「丁度お客様がお帰りになった所ですから、遠慮なくゆっくりしていってください」

「お約束のお客様はいないのですか?」

「これからの時間でご予約はありません。大丈夫です」

「大急ぎでなんて方はボン・マルシェに行きますからね」

 仕立て上がりの新品がすぐにでも欲しい女性は百貨店に行くのかな? 出来合いの服が嫌な女性は慌てたりせず、余裕を持って季節ごとのお洒落着を準備しておくものだろう。男の服と婦人物は違うし、何回も同じ服を着ていると数え上げられたら堪らないからな。解語之花(物言うはな)は大変だ。

 注文の仕立てのほかに、ボン・マルシェにも服を卸していると言っていたから、ベルナデットたちは、無茶を言う客にはそちらを勧めたりするのだろうか。

「ご自身で布地や意匠を吟味して、きっちり採寸して誂えないと気が済まない方がまだまだいらっしゃいますし、そこは時間やお値段で妥協される方と別れています。

 どちらに重きを置くかですよ。古着を買ったり、自分や家族で縫い物をするより、少し高くてもボン・マルシェで新品がいい方もいらっしゃいます」

 マリー゠アンヌはこちらへどうぞと応接用の場所を指しながら、説明した。

 俺は服の良し悪しを見るのはできるが、裁縫はできないから、そんなものかと聞いている。釦付けや毛布を担架に組み立てるくらいは、士官学校で学んで、実践もしているが、軍礼服を縫えと言われたら、降参するしかない。

「毎日身に付ける物といっても、様々手が掛かっていると改めて思います。素晴らしいお仕事です」

「大袈裟です」

 マリー゠アンヌは悪い気はしないらしく、にっこりとした。お邪魔はしませんから、とマリー゠アンヌは下がった。

 入れ替わりにベルナデットがお茶を淹れてきた。

「こうして週の頭からオスカーに会えるなんて、今週は幸先がいいわ」

 お互い楽しい週末が過せればもっといい。

「オスカーは、今日のお仕事は終わったの?」

「ああ、昨晩から詰めていたから、今日はもう解放された」

 昨晩から? と驚くベルナデットに、午前中仮眠はしたと答えた。

「大使館付きだとあちこちに出向いたり、夜会に出たりとお付き合いが多いのでしょうから、お仕事の時間が不規則になるのね」

「そう、下っ端だと、上つ方のように昼過ぎまで眠って、それから芝居見物や夜会なんて日々は送れない。どこかで抜け出して、夏で眩しくても太陽の光を浴びないと体がおかしくなる」

 ベルナデットは同意してくれたらしく、笑って肯いた。いくらガスや電気で灯を点せるようになったからといっても、まだまだどこの家でも使える代物ではない。太陽が照らしているうちに働いて、用事を済ませて、夜は休む。自然に従って生活できるのが一番いい。

「大使に護衛で宮廷に付いていっても仕事だから、浮かれて見物している余裕はない」

「宮廷の貴婦人にも?」

「秋波に気を留めていたら護衛にならない」

「ホントかしら」

「本当だとも。蝋燭の燭の下で見る厚化粧の貴婦人よりも、こうして明るい場所にいるあなたのほうが何倍も魅力的だ」

 偽りない気持ちがそのまま言葉になる。

 ベルナデットは嬉しそうに俺を見詰めた。

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