二
昨晩の、いや昨晩から明け方に掛けての夜会の様子や会話を思い起こす。特にレヴァンドフスキ伯爵たちとの経済関係の情報での単語を二、三、口に出してみて、内容が記憶に残っているのを確認した。口頭でゴルツ大使に全て述べられる。
来客と面会できる服装をしているかは別として、大使は目覚めているだろう。今から大使館に赴いても大丈夫だろう。寝間着にガウンでも、大使が気兼ねする訳がないし、俺も気にしない。
報告書の草稿(といっても幾つか単語を記した程度で、誰かが目にしても意味をなさない紙切れ)を書き上げて、出掛ける準備をした。
階下に降りて、マダムはいなかったが、女中がいたので朝食の膳を渡して、外出の旨を告げた。女中は、下宿人は部屋に居つかない方が有難いのか、もうお出掛けですかと、驚きつつ、機嫌よく見送ってくれた。
背嚢を担いでの行軍ではないのだからと、用件を早く果たしたいと自然早足になる。日差しが強い所為かやはり暑い。途中辻馬車を使い、大使館に到着した。
来館を告げると、ヤンセン曹長が出てきた。
「大使から、時間を問わず大尉が来たら部屋に通すようにと命じられていました」
「一寝入りなんかしないで直ぐに来れば良かったかな?」
「さあ? 大尉が休まずに着替えだけで来たら、待ちぼうけだったかも知れません」
大使は大使で別口の用事があったらしい。忙しいことだ。
「大使は只今、朝食か昼食か判らない食事をしています」
と、曹長はフランス語を交えて教えてくれた。大使は伯爵位の貴族だから、自身が優雅に過しながら人を働かせるのは、それこそ食事をしながらの使用人へお茶の淹れ方を注文するのと同じ。
「用件だけを済ませたら直ぐに退散する」
片頬だけに笑みを浮かべて曹長は俺を促した。大使が私用に使っている部屋へ行き、扉を叩いた。諾の返事が来たので、中に入った。
ゴルツ大使は如何にも夜勤――いや夜会明けに眠り、先刻目を覚ましたばかりといった風情のガウン姿で、成程朝食か昼食か判らない食事の最中だった。
「ご機嫌よろしゅう、閣下」
「ご機嫌よう、アレティン大尉。早速報告に来てくれたのかね?」
「はい、勿論です。レヴァンドフスキ伯爵との会話を丸暗記しましたから、忘れたら大変ですからね。口頭で申し上げますか? それとも文章に起こして、それで報告をした方がよろしいですか?」
ふっと大使が目を細めたが、俺には感情が読み切れない。
「ここで直ぐに口頭で。内容如何によっては報告書を指示する」
「はい」
俺は肯き、手にした紙切れを見、夜会での会話を頭の中で再生した。それを声に出して、半ば役者の気分で繰り返した。再生を終えると、大使は気になる箇所があるのか、もう一度、或いは話し手はどんな表情をしていたかと尋ねてきた。経済問題に弱い俺が報告者では、重要な項目に気付いていないかも知れないと、確認したくなるのだろう。幾つかの質問と答えを交わし、大使は満足したようだ。
「判った。表立っての騒ぎにならないだろうが、金融の件では皇帝は分が悪い。我が国に損は無かろう。投資している者は引き上げ時を見定めようとしている」
アンドレーアスにそれとなく訊いてみようか。
「アレティン大尉、この件について詳しい報告書は不要だ。いつも通りの報告書で差し支えない」
「はい、了承しました。それでは下がって、報告書を作成し、提出してまいります」
「また護衛や招待される場所での情報収集の連れが必要な時は知らせるので、しばらくは市井の観察や芝居見物をしてくれ。
ではご機嫌よう」
「ご機嫌よろしう」
恭しく一礼して部屋から下がり、静かに扉を閉めると、俺は走って仕事部屋に向かった。体を動かさないと、気分が乗らない。それにいささか酔いを過していたとはいえ、記憶が鮮明な内に報告書を作るに限る。
「大尉は大使と違って若いから、夜会から帰ってきても元気だ」
ハウスマン少佐は呑気に言ってくれる。のらくらしていたら歳を取った猫のように何もしたくなくなるからだ。机仕事をするよりも、あちこちを歩き回ったり、行進したり、馬の世話をして遠乗りしたい。そうでもしないと、退廃に染まりそうで嫌だ。