一
夜会が終わるのは夜が白々と明ける時間帯で、俺が寄宿先に到着すると、女中が既に起きて朝の掃除をしていた。街路の掃除人や街灯を消して回る人足と同じように早起きで勤勉だ。
「お帰りなさいませ。お早うございます」
「マドモワゼル、只今、お早う」
声を聞きつけたのか、マダム・メイエが顔を出した。
「お早うございます。ムシュウ・アレティン」
「只今帰りました、マダム。お早うございます」
お互い、爽やかとは形容しがたい顔で挨拶となる。
「これからお休みになるのでしょうから、朝ご飯は要りませんね?」
出迎えよりもそちらの確認が重要のようだ。
「ええ、代わりに昼過ぎに何かいただけますか?」
「かしこまりました。そのように取り計らいます」
無駄口は叩かない。気の利く家政婦とはこのような女性だ。沈着な振る舞いがこの女性の常態で、隙の無さが魅力的でもある。彼の女も慌てたり、お道化たりするのだろうかと、悪戯を企む、けしからぬ輩が今までいなかったとは思えない。仕事を離れ、私生活では表情豊かなのだろうか、知らない素顔を覗きたいとそそられる。マダムと呼ばれるのが自然な年齢と身のこなし、人生を彩る当然ドラマがあっただろうと、想像してみたくなる。
洗礼名のセシルをドイツ語読みで呼んでみたらと、ふと思い付いたが、朝寝の後の食事がなくなっては困る。大人しく部屋に入ろう。
寝室のカーテンをわずかに開けて、入ってくる光を頼りにして、礼服を脱ぎ捨て、夜会の退廃を拭い去った。カーテンを閉め直して、そのまま寝床に倒れ込む。目を閉じて、眠りの翼に身を委ねた。
何の夢も無く、闇に沈む。
小石が転がるような乾いた音とともに、眩しさを感じた。何事か目が覚めた。起き上がると、マダム・メイエがカーテンを開けていた。
差し込む光に呟いた。
「太陽が勢いづいている」
夏だから当然だ。
「早すぎましたか?」
全く恐縮していない声が返ってきた。
「いえ、寝過ごすところでした。有難う」
マダム・メイエが朝食を寝床まで運んでこようとするのを止めた。
「ちゃんと起きて、着替えてからいただきますので、置いていてください」
マダムはかしこまりましたと言いながら、わずかに口の端を上げた。
「また眠らないでくださいね」
「一度目が覚めたら、眠れない性質です」
惜しい。もっとにっこりしてくれないものか。一々下宿人に愛想を売っていたら疲労するし、好意があると勘違いされても迷惑だから、馴れ馴れしくしないのが習い性になっているのだろう。勿論、男の部屋に配膳の為に入ってくるのが楽しい仕事でないのも判る。逆の立場になったら、俺だって努めて無表情で遂行する。
マダム・メイエが下がり、俺は身繕いをし、食事を摂った。
次第に寝起きから頭がしゃっきりとしてくる。コーヒーのほかに飲み水を添えてくれた気遣いには感謝する。夜会では食事よりも葡萄酒や蒸留酒の配分が多くなっていた。水分の補給とまともな献立が、体に染みこんで、活力が湧いて来るようだ。
食事を終えたら、昨日の報告をあらかたまとめておこう。さして得るところが無かったが、何も無しと一言で済ませる夜でもなかった。武官も文官並みに文書作成に追われなければならないのが、官人の詰まらない役割だ。仕事で巴里の夜会に出席しているのだから、それに不満を言ったら意味がない。自分で自分を能無しにしたくない。




