九
曲が終わり、舞踏は終わる。大きく肩を上下させながら深呼吸をしているレヴァンドフスカは喧騒の夜会ではなく、美しい星空を眺めているような瞳をしていた。若い娘の夢の薄絹越しの、春の花が舞い散る景色を眺める気分を思い起こさせる砂糖菓子。
「何か冷たい飲み物を摂って、お父上の許に戻ろう」
現実につなぎ止めようと言ってみても、小娘は肯くだけ。
まあ、いい。髪を解いて、寝間着に着替えるまでの時間が経てば、あれはひとときの出来事、二度と取り返せないと理解するだろう。
給仕たちがいる所に行き、レモネードをもらい、レヴァンドフスカに渡した。冷たくすっきりとしたレモン水を俺も飲み、一息ついた。気軽に柑橘類を味わえるのも文明の恩恵。カレンブルクやプロイセンでは自然のままでは生産できない。温室を使ってまでこだわる余裕があればこそだが、今は輸送や保存も便利になってきた。南国の果物が身近に手に入るのは北国の人間には有難い。
「落ち着いたら行こう」
空になったグラスを返して、レヴァンドフスカを促した。
「そうしましょう、アレティン大尉」
小娘は拍子抜けするほど大人しく従った。小娘の腕を引き、伯爵がお仲間と談笑している場所に戻った。
「お嬢様と踊ってまいりました。お嬢様をお返しいたします」
俺は伯爵の側に小娘を座らせた。
「一曲と言わず、もっと踊ってきても良かったのに」
「それは別の殿方に譲ります」
伯爵は娘に問い掛けた。
「楽しかったかい?」
小娘は、ええ、と短く答えた。感想をくだくだ父親に報告するほど子どもではないらしい。扇で扇ぎながら、表情を隠すようにしている。それは良かったと父親は受けた。娘が男性の注目を浴び過ぎては困るが、全く目を付けられないのも困る。顔見知りの陸軍士官よりもっと身分の高い仁の目に留まらないかと願いつつ、軽はずみな遊戯に誘惑されはしないかと側に置きたい。親心は複雑だ。
幾らか年齢を重ねていても爵位があって、持参金の額が少なくて済むような貴族、或いは身分にこだわらないでも富豪の男性がレヴァンドフスキ伯爵にとっての対等の人間であり、娘の結婚相手に相応しい。
伯爵にとって俺は人の数に入らない。商売人が地道に小金を貯めて成り上がり、貴族の末席に着いて、陸軍士官、それがアレティン家の身の丈に合っている。生き方を選ぶのに苦労しないだけの財産があり、家族のいない俺に何かがあっても管財人やアンドレーアスが始末を付けてくれる。それでさいわい。
財産や家名が大きくなり過ぎると、それを守ろうと身構えてしまう。
ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵は古くから続く家門であるが、小国なら一つ易々と買えるくらいの財力をほぼ自ら築き上げたから、巴里で好き勝手していられる。しかしレヴァンドフスカは父の庇護を受ける小娘。ベルンハルト伯父のように飛び出せまい。俺の母のように、父親の決めた道に進んでいくだろう。
手を掛けて育てられた花は手渡されていく存在。
「マドモワゼル・レヴァンドフスカ、ご機嫌よろしう」
「ええ、ムシュウ・アレティン、ご機嫌よろしう」
レヴァンドフスカの手を取り、別れの挨拶をし、伯爵たちに一礼をした。




