八
一つの曲が終わって、改めてダンスの列が並び直す中に入り、向かい合った。また曲が始まり、俺は小娘の手を取り、背へ軽く手を当て、足を踏み出した。慣れていないようだが、小娘は上手く俺に合わせて、動いてくれた。
「やっぱり習っているだけじゃ詰まらない」
と当たり前の可愛らしいことを言って、俺は口の端を上げた。
「誰か誘ってくれなかったのか?」
「お父様の側にいる時はね。一人でいる時は断っていたの、何所の誰か知れない人はなんとなく嫌」
「見掛けによらず賢明だ」
「手袋の件で懲りたの。あれが大尉でなくて見知らぬ人だったら、どうなっただろうと怖くなったから」
「見知らぬ人でなくても部屋に男性を入れるのもやめなさい」
小娘は素知らぬ振りで答えた。
「勿論」
若い子だって忘れ去りたい事柄はある。さっさと忘れてしまえ。そして、今夜踊った男も手帳に記さず、綺麗さっぱり忘れてしまえ。俺はただの通りすがり、かつて敵国だったカレンブルク出身の軍人だ。二兄の死と直接関わりがないが、愉快ならざる切欠で知り合った。伯林での友人シューマッハとの因縁もある。付き合っていれば、そんな過去がいつよみがえって来るか知れない。未来に向かって人は進んでいるとは言いながら、過去を無かったことにできないのだから、無縁で過していれば感情生活を平穏に保てる。無駄に水面を乱す突風の種を溜めこまないでいたい。女性絡みは特にだ。
女性はとっくの昔に了解済みの事案を何かにつけては思い出して、蒸し返す。こっちが似たようなことを言ってみれば、知らない知らないと空とぼける。
時間と労力の浪費だ。
小狡い知恵があるとは言わないが、この小娘は初対面からかなり生意気だった。ランゲンザルツァでは敵国の士官だった俺が、戦場の真っ只中で、落馬して馬に引きずられていたレヴァンドフスキ少佐を助けられなくて当然だ。それに俺が馬を撃った時には既に息はなかったはずだ。
もっと早くに馬を撃っていてくれればと恨み事を言われても、それは運命の女神の配剤。兄を悼む心がある限り、俺へのそんな要求も熾火のように胸の底にくすぶり続けるだろう。
だから、敗戦し、併合された憐れな国の士官への興味は捨てて、父親の望む男性と手を取り合う未来を思い描け。
一度くらいはこうして付きやってやる。
「伯林ではマテウシュお兄様や従兄弟たちと踊っていました。お兄様はダンスをしたがらないから、お父様がわたしならいいだろうと言って。
巴里では、場の雰囲気に慣れなくて……。
わたし、我が儘だから、あまり誘われないのかしら?」
「貴女程度の我が儘な女性なら社交界に幾らでもいる」
「まあ! アレティン大尉は色んな女性を知っているのね?」
「そうやってすぐに思ったことを口に出したり、不機嫌になったりすると面白がられるだけで、人から気に入られない」
ふうん、と小娘は口を曲げた。だからそれを止めろと親切に教えてやっているのに、全く子どもじみている。
「マダム・ド・デュフォールが仰言った通りに、扇で隠すようにするわ」
全くだ。扇を使っての合図や色目は社交場での女性の嗜みだろう。使いこなせ。
瞳と瞳が行き交い、息を弾ませ、腕を絡ませ、曲調に合わせてふわりと軽く跳ねたり、進んだりを繰り返し、レヴァンドフスカの頬は紅潮した。微笑みを浮かべながら、俺を見詰める姿が、花開こうとする薔薇の蕾を匂わせた。
首筋から肩先まで露わに、上気した肌の色は、男にとって眼福と言えよう。