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君影草  作者: 惠美子
第二十七章 芝居か現(うつつ)か
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 夏とはいえ夜になると風は涼しい。しかし、テュイルリー宮内は蝋燭の灯りと人いきれで蒸し暑さを感じる。

 ご丁寧にベルク伯爵と偽名を使っていながら、バイエルン国王とばれているルードヴィヒ2世を招いての夜会に、俺は礼服姿でゴルツ大使と一緒に宮廷に伺候している。すっきりとした長身にカールさせた黒髪、どこか遠く、夢でも見ているかのような青い目の美男の若い独身の王。確か来月の二十二歳の誕生日に結婚すると決まっている。それでもなお、貴婦人たちの注目を浴びている。

「結婚前の冒険で巴里に来たと思っているのでしょうか?」

 俺はゴルツ大使の側で、盃を傾けつつ呟いた。大使は皮肉を交えずに真面目に返してきた。

「国王本人にとっては独身最後の冒険には違いあるまい」

 ウージェニー皇妃の側近らしい貴婦人が盛んにルードヴィヒ2世に秋波を送り、色っぽく話しかけているようだ。ルードヴィヒ2世は返事をしているものの、愛想はよろしくない。やがて会話が途切れたのか、打ち切られたのか、貴婦人は大仰に扇を動かしながら、国王から離れていった。

 俺は顔に出さないように腹の中で笑った。バイエルン国王は女性が苦手、いや嫌いの噂は本当のようだ。年上が好みでないだけかも知れないが、貴婦人の様子からして、話が嚙みあっていなかったのが見て取れる。高貴な青年を、貴婦人は自らの容姿の美しさを誇って誘惑しようとした。ところが青年王は芝居や絵画、彫刻の美女を好み、現実の女性を鑑賞しようとしない。肩や胸元を露わにした美女の肌の滑らかさ柔らかさに、唇や指で触れてみたいと、少しもそそられなかったのだろうか。

 女を知らないから内気。結婚を控えて、カトリック教徒らしく身を清く慎んでいる。

 多分、大方の善良な人々はそう思って見ているだろう。

 プロイセンやドイツ諸邦の人間は、粋で華やかなフランス女性がバイエルン国王を如何に熱心に口説いたとしても無駄だと、だいたいの事情を知っている。決して初心や信仰心からではない。

「独身最後の冒険は精々芝居や万国博覧会の見物と買い物でしょう。高貴な女性やその手の玄人との醜聞はあり得ませんから、バイエルン宮廷の側近は懐事情だけ心配していればいい。それも来月の二十五日に結婚だから、どんな高価な買い物をしたとしても、どこの誰とも知らぬ踊り子や音楽家への贈り物でもないでしょう」

「家族や未来のバイエルン王妃への贈り物なら、バイエルン国民は税金を使われても文句は言うまい」

「間近に結婚式を控えて、巴里に来るとはせわしない。国王も宮廷も準備は大丈夫なんでしょうかね?」

 結婚前に、自分の先に進む道はこれで良かったのか、別の道の選択があったのではと、落とし穴や複数の扉が存在するかのように不安に陥る者が結構いると聞いたことがある。

「幾ら若くとも、国王の義務は(わきま)えていると信じるしかないね」

 つい、口が滑った。

「そういえば、プロイセンでも2世と付く王様は政略結婚の相手とはろくに一緒に過さず、文通だけだったそうで」

 ゴルツ大使は俺を睨んだ。プロイセンのフリードリヒ2世、大王とも呼ばれる王様は父親が決めた結婚相手とは別々に暮らし、後嗣を儲けなかった。大王の後を継いだのは甥だ。

「卿は酔っているようだ」

「酔うほど盃を重ねていません。しかし、言葉が過ぎました。失礼しました」

 赤の葡萄酒は口当たりが良すぎる。酔いを醒ますと告げて、夜風に当たりに行った。庭先から空を見上げると、既に欠けはじめた月が見える。

 満月より遅く天空に現れる、夜の王。フランス語では月は女性名詞、それに従うと夜の女王。夜半の月は冷たく冴えわたる。

参考文献

 『ドイツ王室1000年史』 関田淳子 中経出版


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