六
ベルナデットは思案顔で、顎を指でつついた。
「オスカーがまだリュクサンブール公園に行ったことがないのなら、ご案内します」
引っ越ししたと浮き立っていたが、ベルナデットは生まれ育ちが巴里なのを失念していた。リュクサンブール公園はそれこそ子どもの頃から遊びに行っていて、目新しくもないだろう。気忙しくしていては、恰好が付かない。今度は俺が苦笑した。
「ブールヴァールやテュイルリーをお散歩すると、上流の方々の服装を観察できますけど、こちらも観察の対象にされていますから、気が抜けません。その点リュクサンブール公園は、ご身分の高い方々はあまりお見掛けしませんからのんびりできます。確か、国立の音楽や演劇の学校の卒業生で、コメディ・フランセーズに選ばれなかった二番手くらいの人たちが出ている劇場が近くにあったはず」
マリー゠フランソワーズが付け加えた。
「昔、第二フランス座と呼ばれていた……、オデオン座だったかしら?」
「ええ、オデオン座ね。だから、公園に行くと、俳優が練習しているところに出くわすかも知れないわ」
それはそれで、実際の舞台を観るのと違った面白さがあるかも知れない。
「おチビさんも一緒に行くのならリュクサンブール公園が無難ね」
母親らしく、マリー゠アンヌが言った。
「リュクサンブール公園なんて子どもの遊び場じゃない」
と、ルイーズが幼児のように唇を尖らせた。実際子どもじゃないかと可笑しくなる。
「ルイーズはお姉さんたちと一緒に散歩してみたいの?」
お姉さんの余裕を見せながら、ベルナデットは意地悪な問い掛けをした。ますますルイーズは拗ねたようになる。
「お姉さんが行ったグランドホテルにわたしだって行ってみたいわ。いいなあ」
「子どもが贅沢覚えていいことありません」
「ママン、だけど一流の物を見なければ一流の物を判るようにならないとも言っているじゃない。グランドホテルは一流の人たちが集う場所でしょう?」
仲良しのお姉さんと一緒に大人のお出掛けをしてみたいと、一人前に言ってみたいのだ。やっと羽の生えそろった小鳩のようなルイーズの好奇心と向上心、こればかりは許可を出すのは俺ではない。
「ルイーズは叔母さんを“chaperon”にしたいのかしら?」
俺が誘いに来たのは自分だと、ベルナデットがはっきりと告げる。
ルイーズは上目遣いで母親と俺とを見比べてみるが、俺はマリー゠アンヌに黙って首を振った。
「ムシュウ・アレティンは確かに今日遊びに来てくれましたけれど、あなたを誘おうとしているのじゃないのですよ」
むくれて不機嫌も露わにしていたが、ルイーズは母親の注意にしばらく考え込んで、渋々といった感じで肯いた。
娘も孫も大事な愛情の対象のマリー゠フランソワーズが困ったように提案してきた。
「リュクサンブール公園への散歩やオスカーへのお宅への訪問はまた今度にして、今日はルイーズを連れて、ブールヴァールからオペラ座辺りまで出掛けてみたら?」
「五人で?」
ベルナデットが訊き返した。
「わたしは行きませんよ」
「わたしも出掛けたくないわ」
マリー゠フランソワーズとマリー゠アンヌが声を揃えたように答えてきた。ベルナデットがぐるりと瞳を巡らした。
「じゃあ三人でってこと? わたしがシャプロンになっちゃうわね」
ラ・ヴァリエール家で厄介なのは母親のマリー゠フランソワーズではなく、背伸びしたがる年頃のルイーズのようだ。ベルナデットと二人きりの外出を許してくれそうもない。
“chaperon”、帽子、頭巾を示す言葉から、未婚の女性に付き添う年長の女性のこと。英語で「シャペロン」、フランス語で「シャプロン」。