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君影草  作者: 惠美子
第二十六章 手に触れ難き、夜半の月
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 俺の言葉に、皆一様に驚いたようだった。

「本当に引っ越ししたのですか?」

 ベルナデットが確認してきた。

「ええ、仕事が忙しい時は大使館に寝泊まりしますが、そのほかは寄宿先で一々外出報告無しで自由に待機して過せます」

 仕事で市井を探るのに便利だからとは、ここで言えない。

「場所は六区で、アンドレーアスのフランクフルトでの商売相手の伝手を辿って見付けました。カルチェ・ラタンと呼ぶのですか? 学生街のある、リュクサンブール公園の近い場所です」

 と、詳しい住所を告げた。

「セーヌを渡らなければなりませんけど、ここからそう離れていない所ですね」

 マリー゠アンヌが距離を測るかのように、俺の代わりに言った。

「ベルナデットさえ良ければ、散歩に誘いたいくらいです」

 ベルナデットは嬉しそうに微笑み、マリー゠アンヌは苦笑した。

「ムシュウ・アレティンは正直ね」

「貴女は如何ですか?」

「わたしがいたらお邪魔でしょう?」

「美しい女性に囲まれるのは男冥利に尽きます」

 血が繋がらなくても従姉同然の女性なのだから、そちらが望むのなら話相手ぐらい務める程度の礼儀は心得ているし、男性に頼らず自立している姿への尊敬の念がある。妹に気のある年少の男をどう思ってくれているか、無視されまいか、ほつれて取れそうになった(ぼたん)のような心持ちにさせてくれる。

「お世辞でもそう言われると、まだまだわたしも捨てたものじゃないって気分になる。有難う、ムシュウ」

 照れながら、それを隠そうとする仕草は今の季節の草花ように若々しく感じられる。落ち着きのある華を秘め、手折れそうで手折れない、蔓草のしなやかさ。

「ママンはいつだって綺麗よ」

 親への反発心が芽生え始めてもおかしくない年頃だが、娘は母に味方した。

「有難う、ルイーズ」

 まだまだ若く美しく見える母が自慢なのだと思わせて、ルイーズは気ままにお喋りをはじめた。

「カルチェ・ラタンもいいけれど、男の人が一緒ならパレ・ロワイヤルに行っても怖くないんじゃないかしら。ヘンなお店は無くなったっていうけど、なんだか心配になっちゃうんですもの。周りにパサージュがあってお店がブールヴァールまで色々あるんでしょう?

 コメディ・フランセーズだってあるでしょう?」

 俺が芝居好きとコメディ・フランセーズを言ってくれたようだが、パレ・ロワイヤルもブールヴァールもカルチェ・ラタンと全く別の場所にある。ルイーズは自分が行ってみたい盛り場を口に出しているようだ。ブルボンの王からボナパルトの皇帝に入れ替わって、盛り場の移り変わりがあったようだが、詳しくない。だが、確かにルイーズみたいな堅気の娘一人で歩いたら、危険そうな場所・時間帯があるのは判る。

 大人に成りかけ、背伸びして冒険してみたい少女が、一人で行っては淪落の危険が待っているかも知れないから、お兄さんが遊びに連れていってくれないかと、遠回しにねだっているつもりなのだろう。

 だが、母と祖母がいる所で、いいよ連れていってやろうなど、言える訳がない。珍し物見たさにあちこちと目移りして動き回り、目を離した隙に迷子になられたりしたら、こっちが困る。どうせ一緒に行くなら、ルイーズではない女性を誘おうじゃないか。

「ベルナデット、あなたが行くとしたら、リュクサンブール公園とパレ・ロワイヤル周辺のパサージュと、どちらがお好みで?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほつれて取れそうになった釦のような心持ち、という比喩が秀逸で素敵です。 オスカー、駆け引きですね。頑張って!
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