四
「可哀想と思っているだけでは何にもならないわ。猫を放してやって、梯子を片付けなさい」
「はい、ママン」
ルイーズは猫を地面にそっと置いた。猫は周囲を警戒するように見回すと、さっと駆けていって姿を消した。
「私が片付けるのを手伝うから、どこに運ぶか教えてくれ」
梯子を屋根から外して、元の通りに畳んで、持ち上げた。
「あら、有難うございます。こっちです、お兄さん」
ルイーズは裏へと手招きした。裏口から入って、物置のように道具が置かれている場所に、邪魔にならないように置いた。
マリー゠アンヌが知らせていてくれたのか、ベルナデットが顔を出した。
「オスカー、ご機嫌よろしう。力仕事をさせてしまってごめんなさいね」
「ご機嫌よう、ベルナデット。これくらい構わないさ。屋根の上に蛙みたいな声で鳴く猫がいたら、気味が悪いだろう?」
「猫にも濁声があるのだと驚いたわ」
ルイーズが割り込んできた。
「白い猫ちゃん、青い目をしていたから、ロージャが言っていたみたいにきっと耳が悪くて、猫同士の言葉が判らないのよ。
猫を捕まえたら、モン……、ムシュウじゃなくて、わたしのお兄さんと呼んでもいいでしょ? お兄さんが梯子を登ってきて、わたしを肩に座らせて、降ろしてくれたわ」
まあ、とベルナデットは呆れたような顔をした。
「叔母さんをお姉さんと呼んでいるんですもの、わたしと血縁はない方ですけど、お姉さんの従兄でお友だちなのだからいいでしょう?」
ルイーズなりに俺との距離を測っての提案なのだろう。如何にも子どもっぽいが、ちゃっかりした女らしさが垣間見える。これは巴里娘だからと限るまい。
ベルナデットは姪っ子の言うことだからと思案しつつ、どうも俺がルイーズを肩に乗せたのが気に入らないとでも言いたげで、視線に棘を感じた。
「屋根に登ったら危ないけれど、オスカー、あなたも危ないじゃないの。人を肩に乗せて、梯子を降りるなんて」
「ビール樽のような婦人なら乗せない。あなただったら、そもそも登らせない」
ベルナデットは肩をすくめた。ぱさぱさのパンを噛み、飲み込みがたいのと似た気分かも知れないが、男性の礼儀としての行動だと受け入れてくれるだろう。こんなことで姪に先を越されたと思わないで欲しい。
「まずは無事に済んで一安心だわ。中に入ってちょうだい」
裏の物置部屋から居間に通され、伯母や皆に改めて挨拶した。
「お仕事で忙しいでしょうに、こうして訪ねてきてくれると、嬉しいです」
伯母、マリー゠フランソワーズは柔らかな日差しのように俺を迎えてくれた。
「お知らせ無しで、思い立って来たのですが、今日のご都合はよろしかったですか?」
「あなたが来るのに都合が悪いはありません」
「店は休みですから」
お茶を淹れてきたマリー゠アンヌが席に着くように勧めてきた。マリー゠アンヌがこの店を切り盛りしているのだから、休日は貴重だろう。手間を掛けさせてしまった。長居して迷惑な客にならないよう、用件はさっさと告げて、ベルナデットを連れ出せるのかどうか、話題を振った方が無難だ。
「大使館の宿舎から引っ越しましたので、皆さんに新しい住所をお知らせに来ました」




