十四
聞き捨てならん、とレオニーの顔を見直そうとして、何故か伯爵と視線が合った。笑って誤魔化し、レオニーの話の続きを聞いた。
「もう決まったことですから、お話します。わたしの父はフランス軍の砲兵将校でしたが、病気で亡くなりました。遺族に対しての恩給は母やわたしたち姉妹が巴里で暮らしていくには充分とは言えませんでした。そこで父の知り合いだったというイルヴォワ氏が我が家に援助をしてくださいました」
イルヴォワ? 宮廷警察の長官か?
「でも、この前、ムシュウ・イルヴォワは街の様子を観察しての報告で皇帝陛下の所に行きました。そこで市民の中に、『かつて革命の時にマリー゠アントワネットがオーストリア女と言われたような声がありました』と報告していたんです。
皇帝陛下に促されて、『スペイン女の所為でメキシコ遠征が失敗して、メキシコ皇帝が銃殺された』と市民たちが言っていますと、正直に報告したのに過ぎないんです。それなのに、近くで隠れて聞いていた皇后が飛び出してきて、『今のわたしはフランス人よ』と大声で言ったそうです。
ムシュウ・イルヴォワは真面目に仕事をしていただけで、皇后の悪口を言ったのはかれではありません。それなのに巴里での仕事を辞めさせて、東のジュラに異動ときめられました。仕事の場所もお給料もガラリと変わってしまって、もうレオン家には援助を続けられないとムシュウ・イルヴォワから言われました」
やはり、宮廷警察の長官のイルヴォワのことだ。そうすると、レオニーはこのイルヴォワの愛人になって生活の援助を受け、子どもまでいるとリオンクール侯爵から聞いた女性か。フランス側が手駒に使うことにしたのか。人の記憶に残り易い容貌をしていると油断した。いや、彼の女は何事か企むような性格に見えないし、ここまで洗いざらい話してしまうところからこの屋敷に入りこんで何か探り出そうとしている諜報の手先とも思えない。
ラ・パイーヴァは心底同情しているようにレオニーの手を握った。
「なんて理不尽な」
「有難うございます。そのように仰言っていただいて、打ち明けた甲斐がございます」
ラ・パイーヴァは微笑んだ。どんな堅物の男でも魅了したと言われる、かつての妖艶さを垣間見せる蠱惑的な眼差し。女をも充分手懐けられるだろう。
「マドモワゼルの悔しさはよく判ります。
生きる為に必死に働いて、それでも認められない空しさは、今までわたしも味わってきました。貴婦人方は一体何故あんなに威張っているのでしょう? 父親や夫の威光や財産があってこそなのに、自力で働いている女を軽蔑するのです。
一家のあるじがいなくなったら、生活が立ち行かなくなると、働く女性は大勢います。どんな手段を使ってでも生きていきたい、少しでも上の地位に就きたいと望むのは殿方だけではありません。
それをのらくらと怠惰な暮らしをしながら、現実を見ないで澄ましているなんて、そんな女性を妻に選んだ皇帝陛下の気が知れません」
褒められる手段ではないが、自力でしっかり稼いで、巴里で豪勢な生活をできるまでになった女性の実感のこもった言葉だ。レオニーはすっかり取り込まれたように肯いた。
知り合ったばかりですから大したことはできないと口では言いながら、いつでも相談に乗りますとラ・パイーヴァも伯爵もレオニーに告げた。
何が上手いパイプになるか予想できない。レオニーが転居するにしろ、俺もこの屋敷の住人も、フランスの軍部や宮廷警察に名前が使える、それでいてフランス宮廷に不満を抱く女性を頭の中の名簿に書き加えられた。
レオニーに贈られた沢山の手土産を持ってやりながら、今日は良かったですねと、家まで送っていってやった。
「じきに巴里から離れるのはかなしいですけど、異国の方たちからこうしてやさしくしていただいて、心強いです」
レオニー・レオンは真実感激しているようだった。年齢に似合わぬ天真爛漫さを利用されず、失わず、過せたらどんなにかいいだろう。砲兵将校の娘は世間から忘れられ、親戚の厄介になっている方が仕合せだ。フランス側からもプロイセン側からも、目を付けられ、使われる立場にならないように祈ろう。




