十三
「貴官のことだから心配していなかった」
ゴルツ大使は、お天気の話をしているかのような、全く気の入っていない返事をして寄越した。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵の賭けは負け、俺が見付けた女性を連れてラ・パイーヴァの屋敷に昼間お邪魔したいと依頼して欲しいと報告したら、これだ。
「グイドがあの女性に胡桃ほどの宝石を買うのは、子どもが小遣い銭で飴玉を買うより簡単だ。むしろそれが楽しみなのだから、この結果でさいわいだ。
堅気で市井の女性だから晩餐ではなく、午後のお茶くらいで勘弁してくれと伝えておく」
「よろしくお願いします」
ゴルツ大使もヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵も自身の資産の管理は自分でせず、管財人にやらせているのかと、ふと考えた。
莫迦々々しい。
代々爵位を受け継いできた貴族、アレティン家とは持てる資産の桁が違うのだから比べるのは、愚かだ。眉一つ動かさずに欲しい物は欲しいと、商人を呼びつけて、宝石だろうが、流行りの意匠の衣服だろうが自分好みの、最高級品を手に入れていくのが貴族のあるべき姿だ。財布の中身や預金の残金を気にしているようでは、俺もまだ成り上がり者の部類だ。
いつでもどうぞと、ラ・パイーヴァとレオニー・レオンの双方からの返事があったので、すぐの日取りでいいかと尋ねて、了解を得た。大使は今回同行しないときっぱりと断っている。茶番は早く済ましてしまいたい。
曇りの日の午後、出会ったカフェで待ち合わせをして、レオニー・レオンとシャン゠ゼリゼ大通りの屋敷に向かった。
「たまに通りかかって素晴らしいお屋敷だと感心していましたけど、ここですか!」
レオニーは門の前で顔を上下させて、つくづくと邸宅の様相を眺めた。ブロンズ色の肌に似合った落ち着きのある青い色合いのドレスを着て、特に身を飾る品を付けずに質素な装をしている。黒髪をまとめずに下ろし、ボンネット型の帽子を被っている。
お仕着せの召使が扉を開き、我々を招き入れてくれた。
「いらっしゃい、ご機嫌よろしう」
女主人が満面の笑みで出迎えてくれた。昼間なので、ラ・パイーヴァの服装はおとなしめというか、ゴテゴテと宝飾品で武装するような恰好はしていない。ブルジョワのご婦人がお茶会を開くのに相応しい、薄い黄色のドレスに緑の上着で、人を驚かせなかった。脇にいるヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵は灰色の服に、アクセントにカフスにトルコ石、同色のネクタイ、それよりは濃い色のチーフを胸元のポケットから見せている。
「お招き有難うございます。ご機嫌よろしう、マダム。
ご機嫌よろしう、ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵。
お二方に紹介します。先日、イタリアン大通りのカフェで知り合いました、こちらマドモワゼル・レオンです」
「ご機嫌よろしう。
わたしはレオニー・レオンと申します。初めまして」
愛想笑いを浮かべながら互いに挨拶し、レオニーはどっしりと年齢を重ねた高級娼婦と年下のプロイセン貴族を、ラ・パイーヴァと伯爵は肌の色の違う市井の女性を、さりげなさを装いながら、観察した。接触する機会があるかないかの珍しさがあるのか、しばし間が空いた。
女主人は捌けている。
「用意しておりますのよ。こちらにいらしてください」
すぐに声を掛けて、案内してくれた。
「素晴らしいお屋敷でびっくりしてしまいます!」
レオニーは装飾や家具を見ては声に出して、素直に気持ちを表した。純朴というより単純な性格をしているのかも知れないと、こちらが気恥ずかしくなってきた。だが、女主人は率直な賛辞に気分を良くしているようだ。鳩のようにくくくと笑いを洩らしている。あれこれと気を回して凝った真似をしてみるより、ご機嫌取りには効果的らしい。
席に着いて、お茶や菓子を囲みながら、レオニーはラ・パイーヴァの質問に答えていた。
「まあ、それでカフェで? 給仕さんに感謝しなくては」
「そうですね、このように素晴らしい場所で、素晴らしい器で、お茶や見たことのないようなお菓子をいただけるなんて、夢にも思いませんでした」
「正直な方でわたしも嬉しいわ」
商売抜きで、お喋りを楽しんでいるのなら、それはそれでご婦人の気晴らし、聞いている振りをしながら、別のことでも考えていようか。
「わたしは来月には巴里から引越しします。
一家でお世話になっていた方が、事情があってもう援助できなくなってしまったので、親戚を頼ることになったんです」
「まあ、それはお気の毒に。ここのお菓子のほかにも色々とご家族にお土産に持って帰ってくださいな。
それで、失礼でなければお世話になっていた方はどうなさったのかお聞かせくださる?」
「スペインからきた皇后の所為です」




