十
イタリアン大通りに面したカフェのテラス席で、道行く人々を眺めていた。ベルナデットをはじめ『ティユル』の女性たち、それにアグラーヤを賭けの屋敷へ連れていけないのだから、ラ・パイーヴァに憧れるような蓮っ葉な女性がいるだろうかと、不謹慎な目的でここにいる。自分で枠を設けているのが滑稽だ。
彼の女は娼婦でふしだらで、彼の女は堅気で真面目。男から見た女性の分け方だ。
きっかけはほんの些細な出来事なのかも知れない。アグラーヤは波蘭土貴族に、ベルナデットは既婚の男性に言い寄られた。アグラーヤは帰る家があり、家族が(家名の為でも)守ってくれたし、ベルナデットは相手の妻女が現れて、情婦に転落するのを防いでくれた。一歩間違えればアグラーヤもベルナデットも、令嬢でも神の前で神聖な契約を交わした妻でもない、「娼婦」と罵られるところだった。
夫以外の男と情を通じる女性を「娼婦」と世間は呼ぶが、それなら母だって火遊び好きの有閑階級の妻女だって「娼婦」だ。
ところが「娼婦」と通じる男はふしだらと言われない。女性からしたら不公平だろう。
お互い様と割り切っている夫婦もいれば、知らぬは夫ばかりなりのあわれな男もいる。
田舎から都会に出てきたはいいけれど、お針子や女工では食べていくのもやっとの貧しさ、花の都に暮らしている気がしない、真面目に賃仕事をしていても詰まらないと甘言に乗る、または世間知らずで声を掛けてきた都会の人間に――これは男女問わずだ――騙されて乱倫に身を落とす娘だっているだろう。
女性が仕事をしていても伯母のように地道に長期間の努力が実るとは限らない。
ルイ15世の寵姫ポンパドゥール女侯のように成り上がりたかったら、現代の巴里ではナポレオン3世の寵姫になるより、ラ・パイーヴァのような高級娼婦になるのが手早いと見えてもおかしくない。贅沢をさせてくれるのは王や皇帝、一人ではない、張り合うように多くの男たちが金銭や宝飾品を手に自分を求めてくる。名のある高級娼婦の暮らし振りや、顧客の男性陣の名前を聞けば、手仕事でちまちまと稼ぐのが莫迦々々しいと感じる娘がいて、誰が責められる? ましてや世間や男たちに低く見られているのを、一瞬でも見返してやりたいと、冷たい悦びを求めても。
俺の仕事にベルナデットやアグラーヤたちを関わらせない、それが言い訳なのは判っている。ただ彼の女たちは利害や欲得ずくの関係ではない。一回、二回、夜会に連れていき、報酬と引き換えに情報を得る程度なら、彼の女たちより行きずりの相手の方が危険がないと勝手に考えている。
情が移り過ぎると上手くいかない。冷酷な判断を下さなければならない場面が出てきたとして、俺は彼の女たちを切り捨てられない。
「失礼いたします、ムシュウ」
給仕が声を掛けてきた。
「ムシュウはどなたかとお待ち合わせですか?」
「いや」
給仕は愛想良く続けた。
「合い席をお願いします」
俺は周囲を見渡した。空いている席は幾らかあるのに、何故合い席を言い出してきたのか。
「今ご来店になったマドモワゼルがお一人、ムシュウもお一人。魅力的な男女が一人で過すのは実に勿体無いことです。
折角の巴里、是非この店でご歓談なさってください」
承諾の返事もしていないのに、給仕は一人の女性を連れてきた。女性の方も遠慮していたのに、俺に対して言った言葉を繰り返しているのだろう、さあさあと、急き立てるようにして、俺の向かいに座らせた。
「ご注文はお決まりですか、マドモワゼル」
「ああ、コーヒーをお願います」
女性はかすれた声で答えた。
「承りました」
給仕は善行をしたと信じているのか、機嫌よく下がっていった。
さて、向かいの女性、若い、といっても俺と同じか少し上くらいか。漆黒の髪に青い瞳、特徴があるのは肌の色だ。小説家のアレクサンドル・デュマと同じく、近い先祖に黒い肌の持ち主がいるのだろう。日焼けしたのとは違う、ブロンズ色の肌。
参考
『パリの王様たち ユゴー・デュマ・バルザック 三大文豪大物くらべ』 鹿島茂 文春文庫