八
「マダムは冒険がお好きなのですか? ご期待に添えるような返事ができなくて残念です。
小官は銃弾飛び交う戦場で生き残った身です。戦死した仲間がいます。まずは命を大事にして、与えられた職務に忠実であろうとしています」
心中がどうあろうと、宴の席では当たり障りない返事をするしかあるまい。
「冒険? 悪くないわ。わたしは乗馬や狩猟に出掛けるのが好き。銃弾の飛び交う戦場のお話を聞かせてくれないかしら」
ラ・パイーヴァは我々を席に着くように促した。続きは晩餐の席上で披露しなければならないのだろうか。話すのは構わないが、女性が聞いて楽しいものでもないだろう。伯爵や大使が別の話題を振ってくれるかも知れないし、席に着いたら着いたでほかに興味惹かれてお喋りを始めるかも知れない。
ゴルツ大使が俺に目配せしてきた。これで済めばいいな、と慰め顔だ。大使が連れてきておいて、それはない。
広間の大きなテーブルも椅子も贅を凝らした品であり、召使たちのお仕着せの着こなしや客への奉仕の指導に手抜きがない。とにかく一流品、贅沢品と呼ばれる品々がここに揃えられている。
妻が贅沢をしようものなら夫だけでなく、舅姑、親類たちが口出ししてこようが、ラ・パイーヴァは伯爵にとっての配偶者同然の地位にいるとしても、形式的にはまだポルトガル貴族の妻で、巴里の悪名高い高級娼婦。金の掛かる道楽、時に手厳しい諫言をしようが、家名の為の結婚となれば伯爵の目が覚めるだろうと静観しているのだろうか。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵にとってラ・パイーヴァは玩具の一つなのか、そうではない、もっと大事な存在になりおおせているのか、興味が湧いた。
上流階級の男性が、文字通り体一つ、美貌と才覚で成り上がってきた女性にここまで入れ揚げているのだ。しかも彼の女は男性よりも年上で、こうして着飾っていれば堂々としていて、まことに立派だが、化粧もコルセットも宝飾品も取り去る閨房では、肌の艶や胴回りなどから想像するに、五十に手が届かんとしている年齢相応、いやそれよりも老けた姿になりそうな気がする。フランスの伝説の人になっているディアンヌ・ド・ポワチエのような若さを彼の女は持っていない。
「大尉さん、初めていらした方ですから、是非お話をしたいわ。わたしの隣にお座りになって頂戴」
お願いじゃなくて命令だ。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵を真向かいにして、ラ・パイーヴァの横に座って居心地がいいか、これも冒険の一種だな。
「大使に連れられてきたのですから末席に着くはずですのに、光栄なご指名です。伯爵のお許しがあれば是非」
「構わないでしょう、グイド?」
「ああ」
気紛れな女性の我が儘に付き合うのが刺激的な日常と化しているのかも知れない。苦さが一瞬浮かんだが、すぐに面白そうに肯いた。対象が小娘や猫ではない。このどっしりとした女性相手に、手を焼きながら、なお執着している。
花の巴里で名を馳せた女性。まだまだ魅力は尽きていないと見るべきか。
俺が手を引き、ラ・パイーヴァを晩餐の席に着かせた。席上に次々と並べられる料理の数々に、カフェ・オレにパンを浸した食事で充分な気分にさせた。食後に氷菓をふんだんに持ってきてくれても、夏でも夜では腹の具合が心配になる。お若いんだから遠慮は要らないのよ、と勧められても、こちらの胃袋は質素に慣れているようだ。量を多く食べたつもりだが、食が細いように、女主人は大袈裟に言う。
会話は楽しく、俺が観劇に興味があると知って、オッフェンバックは軽快で楽しい、ヴェルディの『仮面舞踏会』や『ドン・カルロ』はと、話題を持ち掛けてきてくれた。にこにこと愛想を売っているだけの女性ではない。
「大尉さんは巴里で恋人は見付けたの?」
「いいえ、故郷に許婚がいますから」
「まあ、真面目でいらっしゃる。巴里の女の情熱を試してみたいとは思わないの?」
充分試したいと思っているが、相手は決めており、それはラ・パイーヴァではない。
「何分、不器用な性格をしておりますので、深入りしないように用心しているのです」
「気軽なお話し相手で構わないのよ。誰か見付けて、今度ここに連れてきてみない? シャン゠ゼリゼのこの屋敷を一目見てみないかと誘ってみたら、付いてくる娘がいるかも知れないわよ」
ベルナデットを連れてきたくない。




