六
指定された時間より前に念入りに身繕いして大使の部屋に向かった。部屋にはゴルツ大使とシュタインベルガー大佐がいた。
俺の服装を一瞥して大佐が言った。
「もう少し派手に胸元を飾ったらどうか?」
「これでも散々考えてみたんです」
とネクタイを指で弾いた。
「それとも首ではなくて、頭に巻いてみましょうか?」
大佐はあからさまに眉を顰め、大使は声を出して笑った。
「招待主の前でやれば喜ばれるかも知れない。だが、珍奇過ぎて巴里や倫敦のモードで受け入れられない。
今晩は巴里に不慣れな新任の駐在武官に遊びに誘った理由付けで連れていくので、総参謀本部付きであることだけを伏せて紹介する。特に打ち合わせしておく設定はない。
グイドやラ・パイーヴァに気に入られればそれでよし。貴官の性に合わなければカルチェ・ラタンで励み給え」
「いずれにしても努力します」
こうして俺はシャン゠ゼリゼ大通りにあるラ・パイーヴァの屋敷に初めて足を踏み入れた。玄関の作りからして目立つものだ。何もかも逸品と言える。門の鋳鉄の飾りの唐草模様、彫刻が施された重々しい扉。くぐり抜けると、大理石、いやアラバスターを使ったのか真っ白な厳選された石の壁や床。そこには歩む前につくづくと眺めてしまう質のいい皮の絨毯が敷かれている。広間に進むまでに、手すりや壁の装飾に金や瑪瑙が嵌め込まれているのにまた目を見張った。これはどうも模造品ではなさそうだ。
一、二歩進むうちにも幾ら掛かったかと、ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵の懐具合を案じてしまいそうになるが、俺の所と違って、あちらの事業は桁が違う。またここまで富を晒せば、頭を下げて従ってくる者だっているはずだ。
「今日は物珍しさに眺めまわるのも仕方がない」
大使からそっと囁かれた。
「田舎者らしくしていた方が、あちらの自尊心をくすぐるのでは?」
「それならもっと間抜けそうに」
つい大使を睨みそうになった。大使は俺の性情を知っているから純情そうな田舎貴族の坊やに見えないだけだ。宮殿並みに豪奢な屋敷に呆気に取られて、充分俺はお上りさん気分になっている。それも洗練よりも、とにかく費用が掛かる品をこれでもかと並べている、威嚇そのものの装飾と備品の配置だ。カーテンは真っ赤、きっと近くで見れば布地の質が判るだろうが、きっと上等な織物だ。
「ご機嫌よう、ロベルト」
「ご機嫌よう、グイド」
大使に声を掛けてきたのは屋敷の主の後援者、ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵らしい。
「こちらにお連れのお若い方はどちらかな?」
三十半ば、大使の言葉では三十六歳であるらしい、髭を蓄えた男性が俺を見ている。意外と神経質そうだ。俺は胸に手を当て、挨拶の仕草をした。
「かれは今度大使館に着任した駐在武官だ。オスカー・フォン・アレティン大尉。ずっと軍団勤めでね、今までの任務も警備ばかりで、息抜きに華やいだ場所に連れてきてやったんだ」
「オスカー・フォン・アレティン大尉と申します。お見知りおきを」
「グイド・ゲオルク・フリードリヒ・エルトマン・ハインリヒ・アーダベルト・ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵だ。よろしく」
ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵が右手を差し出してくれたので、握手した。
「今晩は楽しんでいってくれ」
「はい、有難うございます」
周囲の様子がさっと変わった。屋敷の主が広間に姿を現した。後援者の伯爵よりも十一年上と聞くから、俺よりも二回りは上となる。五十手前の、豊満で、化粧と衣装、宝飾品で武装した女性。若さの花を失ってもなお異国的な雰囲気と、婀娜めいた仕草で色香を振りまこうとする女性。美しさよりも、気位の高さと鋭さを感じさせる。




