四
ゴルツ大使は大使でまた別の印象があるらしい。
「市街で騒ぎがあるとしたらまずカルチェ・ラタンと巴里の市場だ。政府の遣り口に不満があればすぐさま道に家具を放り出してバリゲート作り。巻き込まれると抜け出すのが難しくなる。
貴官は学生で通る年恰好だから、服装にさえ気を付けていれば警戒されないだろう。
だが、貴官の折角の容姿の無駄遣いだ」
ゴルツ大使は俺を呼び出した理由を教えた。
「今晩、シャン゠ゼリゼ大通りに面した屋敷で夜会がある。招待されているのは私だが、貴官も連れていきたい。護衛ではないので軍服ではなく、礼装で同行してくれ」
またどこぞの御曹司として連れ回す気か。
「はい、了承しました」
「精一杯洒落てきてくれ。招待主は巴里の高級娼婦だ」
「は?」
俺の視線にゴルツ大使は渋面を見せた。
「この巴里では珍しくもない。まして高級娼婦の後援者は、我が国の宰相閣下と親しいヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵だ」
何代も系図を遡れる由緒正しい大貴族で、プロイセンでも一、二を争う大金持ち。今のヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵家の当主は俺よりも一回り年齢が上だったはず。単に先祖から受け継いだ土地や財産を守るのではなく、あちこちの鉱山を買い取り、工場を建てては商売をし、ほかにも投資を怠らずと、利殖の技に長けている。古色蒼然とした系図と荘園しか持たない田舎貴族とは全く違う。労働者階級からしてみれば、この世の不公平の生きている見本のような人物だ。
「そう言えば、ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵は気に入った巴里の高級娼婦にシャン゠ゼリゼ大通りにある豪邸を与えて好きに暮らせるようにしていると聞いております。その女性ですか?」
「左様。ロシアか波蘭土から流れてきた女性だ。グイドよりも一回り以上年上で、洗練された物腰も教養もあるようには見えない、おまけにポルトガルの貴族と結婚して侯爵夫人の称号と家名を手に入れて、翌日にはその夫を追い払った天晴さだ。
グイドの気が知れない」
大使の口からヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵と姓と称号ではなく、洗礼名が出てきた。グイドと呼ぶからには大使も親しくしているご仁で、大使はその女性には好感を抱いていない。
「で、その女性はヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵家が好き勝手させているくらいなのですから、それなりの女性的な魅力があるのでしょうか?」
「それは貴官の審美眼に任せる」
俺に対して外交官的言辞を使わなくてもいいじゃないか。
「グイド――、伯爵は三十、七にはなっていない、三十六だ。それよりも十一歳上の女性だ。若い頃の様子は知らんが、五十近くなっても不摂生な生活を続けている高級娼婦がどんなものか、ヴァロア朝時代のディアンヌ・ド・ポワチエのような若さと美しさを保っているのか、貴官が実際会って判断するがいい」
ゴルツ大使の激した口調が、ふっと冷めた。
「もし気に入られれば、宮廷とはまた違う社交界で情報収集ができる」
「小官が娼婦に買われるのですか?」
大使は無視した。
「今晩はまず宴に顔を出せばいい。
小難しい話よりも笑い話が好きなようだからそういった話題を提供し、品のない言葉が出ても嫌な顔をするな」
「品のないフランス語の単語は判らないかも知れません」
「それならそれで構わない。相手が教えてくれるだろう」
「実地で?」
「相手を満足させるだけの自信があるなら試してみたらいい。但し彼の女は高い。気に食わない男に言い寄られ、一晩どころかほんの一時ベッドに侍らせるのに一万二千フラン払えと請求したくらいだ。
形式上はポルトガル貴族、パイーヴァ侯爵の妻」
大使はラ・パイーヴァと呼ばれる高級娼婦が大嫌いのようだ。




