二
「では早速行きましょう」
用意された馬車で、巴里の第六区にある屋敷に向かった。
「六区といっても五区にも近い場所です。学者が寄宿していただけあって大学や学校が近いんですよ。カルチェ・ラタンと呼ばれる界隈です。
友人はサン゠ジェルマン大通りやリュクサンブール公園が近いと、屋敷の購入を決めたんです」
賑やかというより騒々しいかも知れないな。学生や学者が多い場所なら、極端に走る若者たちがいて、面白い話を聞かせてくれるだろう。安い下宿や宿屋、飲食店もとりどりあるだろうから、下町とは違う活気があるに違いない。学者や学生、所謂インテリ層の集まる場所は、探ればすぐに判るだろう。
元宮殿の大きな公園もあれば、サン゠ジェルマン゠デ゠プレ教会もあるので、のんびり過ごしたければそちらに行けばいい。
馬車は橋を渡った。セーヌ川左岸。シャン゠ゼリゼ大通りとは対岸になってしまうが、不便するほど遠くない。むしろベルナデットを招いても構わないだろう。
馬車が停まった。
「ここですよ」
馬車から降りて、指し示された建物は瀟洒であるよりも、頑丈さを感じさせる。ローンフェルト氏が来訪を知らせると、家政婦らしき女性が出てきた。四十絡みくらいか、髪をきっちりとまとめた簡素な服装をしている。
「ヘルベルト・ノイマン様からここを預かっているセシル・メイエと申します」
ドイツ語で挨拶してくれたが、フランス人だと言葉遣いで知れた。愛想が良い方ではないのか、緊張しているのか、表情が固い。
「こんにちはマダム・メイエ。
こちらがノイマンを通して話していた、オスカー・フォン・アレティン大尉だ」
ローンフェルト氏は無理をしなくていいと、フランス語で紹介した。俺も合わせてフランス語で挨拶した。
「こんにちは、マダム・メイエ」
「こんにちは、ムシュウ・アレティン」
右手を差し出し、握手をした。顔を見ると、下宿希望者がどんな人間か観察中といった様子だ。整っているが、まだ和らいでいない所為で、人形めいている。青い目に俺はどう映っているのか。見てくれのいい若造は印象を大切にしなければ。
「ノイマンから聞いている通り、アレティン大尉はここの三階の部屋への下宿を希望なさっている。まず部屋を見せてもらえないか?」
「構いませんが、一服なさらずにすぐでよろしいのですか?」
「ああ、お願いする。大尉に気に入ってもらえるかどうか、判断してもらうのは早い方がいいだろう」
「ええ、そうさせてください」
メイエ夫人は肯いて、先に立って案内してくれた。階段を昇り、鍵を開けていたのだろう、すぐに扉を開け放った。メイエ夫人は扉の横に除け、我々を部屋に先に通した。
「居間と寝室の二間になっております。居間は広いですので、間仕切りをして自由に使っていただいて結構です。書斎のように使われた方もおります。
わたしともう一人女中がおります。毎日お掃除に上がりますし、お洗濯も遠慮なく申しつけてください。
お食事は、朝食をお出しします。朝食の時間や、ほかの時間帯のお食事など、ご要望があれば、事前に仰言ってください」
夫人は奥の扉を開け、窓を開けて回った。
最低限の家具が備え付けてあり、水回りに苦労しないように改装をきちんとされている。窓を開ければ風通しがよい。何か騒ぎがあればうるさそうだが、窓から往来の観察ができそうだ。
「気に入りました」
「そう言ってくれると思っていました」
俺とローンフェルト氏の会話に、マダム・メイエもわずかながら口角を上げた。




