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君影草  作者: 惠美子
第二十五章 ものおもう女たち
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 気分の良い好天が続いている中、ローンフェルト氏から便りが来た。初対面の時に話に出た下宿先の件だ。ローンフェルト氏のフランクフルトでの同業者が所有している屋敷が巴里にあり、そこの三階に寄宿していた学者が巴里から倫敦に研究の場を移して、丁度部屋が空いていた。同業者殿との連絡が付いて、寄宿の希望者がいるなら入居してもらって構わない、人品骨柄問題なさそうな人物のようだから委任するので代理で契約してくれと、返事が来たそうだ。それで住まいとなる屋敷の場所や部屋を是非確認してみないかと、俺にお誘いだ。

 否やはない。大使館、伯林の総参謀本部にも活動の為の場を借りて良いと承諾は得ている。こちらは要人や大使館の警護防衛の為に巴里に居るのではないのだから、シュタインベルガー大佐が目を光らせていると、やりにくい。悪いご仁ではないのだが、諜報に関しての点が辛い。社交の場だけで情報収集は済むだろうと、由緒ある貴族の出身の武官らしく頑なで、汗を流す仕事に理解が薄い。俺が地図の測量にも似た、街を歩いての実際に掛かりそうな時間、どれくらいの列で通れるか、それから庶民の様子や生活、事細かな機微を探るのが役に立つかと非常に静かな態度で観察している。ゴルツ大使に付いていっては、上つ方の私生活の覗き見までしているのだから、そこは褒められたものではない、自覚している。

 巴里は中世都市そのままだったのに、急に人が流入してきて、言葉が悪いが、手狭な場所に牛馬の多頭飼いをしているが如き状態だった。それをナポレオン3世とオスマン知事が大鉈を振るって、巴里の大改造を行っている。地図は書き換えられるし、住む場所が変われば人の気分も変わる。王侯貴族の弱味を探るのを忘れはしないが、作り替えられた都市の状況や庶民が集まり易い場所、都市の出入り口や、もしプロイセン軍が実際に攻め込むとなったらどこを拠点とするか、どこから進行するか、軍隊にも市民にもなるべく犠牲を出さぬよう、総参謀本部の作戦指示、現地での判断がし易いように、働かなくてはならない。

 犠牲は戦場だけに留められるようにしたい。軍人が戦場で何があってもそれが仕事だが、民間人が戦闘に巻き込まれたりすれば悲劇だ。徴用や略奪だってあるだろう。そういった事故にすべて補償が行き届くとは言い難い。

 悲劇を減らす為に、俺の仕事はあると信じたい。

 信じられなければ、生きていけない。

 去っていった戦友たち、今ともにある仲間たち、失われた国。血に塗れた大地。この手で知った生命の消えゆく時の肉体の脆さ。死を以て抗議する反戦の士。

 幾度も繰り返される歴史。学んでもなお、争いの種は尽きない。

 平和を護るにも武力や謀略が必要ゆえ、全てを見そなわす知恵の女神ミネルヴァは武具を纏っている。

 夏の陽光で湿っぽい気分を飛ばしてしまおう。

 大使館で外出の旨を告げて、グランドホテルへローンフェルト氏に会いに出掛けた。

「ご機嫌よう」

 ホテルのロビーで挨拶を交わして、握手をすると、ローンフェルト氏はアグラーヤを連れてきていないことを詫びた。俺は苦笑せざるを得ない。

「子どもたちにかかりきりでね」

「いえ、フロイラインのお仕事ですから、当然でしょう。私用でお子様方や奥様にご迷惑をお掛けできません」

「アレティン大尉は真面目でいらっしゃる」

 皮肉ではなく、感心してくれたような口調だ。粋人を気取ろうとしてぎこちなくなるところにローンフェルト氏の人の好さが出るが、ここは合わせておこう。

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