三
「じゃあ知っているかい? あの乙に澄ました皇帝の嫁さん、オッフェンバックのオペレッタを観た後、大恥をかいたんだぜ」
ヴァリエテ座で公演中の『ジェロルスタン女大公』の作曲家。
「今、評判の『ジェロルスタン女大公』を観終って、劇場関係者と会って話をしていたんだが、作曲家のオッフェンバックと話す段になって、スペイン女は知ったかぶりで、こう言ったそうだ。
『ラインのほとりのご出身なんですって?』
それでオッフェンバックは肯定した。
『ボンでお生まれだとか』
オッフェンバックはそれは違うと説明して、皇妃様にちょいと花を持たせようとしたんだが、上手くいかなかった。
『自分はケルンの生まれです。ボンで生まれた高名な音楽家といえば……』
とそこで笑って、気を利かせたつもりで黙った。しかし、皇妃様は何も答えられない。お互いだんまりを続けていても仕方がないからオッフェンバックは自分で答えを言ったのさ。
『ボンの生まれの音楽家はベートーヴェンです』
わざわざ話題を振っておいて、間違えて訂正されて、日頃から気取っている皇妃様、音楽には詳しくないと知られちまった。笑えるよ」
その話は知らなかったな。
「ワーグナーやシュトラウスとでも言っておけば、またご冗談をと、笑って済ませられたでしょうね」
ベートーヴェンの生まれがどこか知らないのは仕方ないし、知っていなくても、音楽やオペラの鑑賞はできる。だが、ウージェニー皇妃はオッフェンバックがケルン生まれだと下調べをしてきちんと記憶していれば、劇場の関係者の前で無知を晒さなかった。覚えていないのなら、わざわざ出身地を問わなければ良かったのだ。
高貴の方はいつでも注目されているのだから、辛い。
「俺だって、ワーグナーがどうとか、オッフェンバックがプロイセンの辺りから巴里に来ようが知ったことじゃない。要は観て、聴いて、楽しいか、楽しくないかだ。
皇妃様のしでかしたことで気に入らないのは、今回のメキシコ皇帝の件だよ。
ガキじゃないんだから、オーストリアの大公だって楽して暮らせるとは思っていなかっただろうが、あれじゃあ島流しにされたも同然じゃないか。スペイン女が口出しして、メキシコをまた植民地扱いしようして、大失敗。
皇帝やその嫁さんの独断で、兵隊を他所の国で戦わせたり、オーストリア皇帝の弟をメキシコの皇帝に据えてみたりと、帝政の欠点ばかりが出ちまっている」
単にウージェニー皇妃の悪口を言って清々するような奴ではないようだ。
この男、レオン・ガンベッタは帝政に不満を持っている。弁護士であるから、ナポレオン3世が皇帝の地位にある現状に、気分の問題ではない、理路整然とした批判ができる頭はありそうだ。
話を聞くのは面白い。こちらが何か言うのを期待していない。ただ主張したいように見える。今、話相手がおらず、暇なのかも知れない。
「そこらへんの女どもは、三十四だか、五で銃殺された大公様がお可哀想なんて言っているが、元凶はフランスの皇帝夫妻だ。
お可哀想なら、その責任をはっきり皇帝と嫁さんに問うべきだ。
そう思わないか?」
もしかしたら警察から目を付けられているかも知れない反体制派の弁護士に、安易に同意する莫迦がどこにいる。そうでなくても同類と見られたくない。
「その点に関して、自分に意見がありません」
俺はフランス人でもオーストリア人でもない。敗戦して、プロイセンに組み込まれたゲルマニアの民。
はっきり言えるのは、メキシコ人の行動に全面的に賛成はできないが、他国からの干渉を受けたくない、独立したい、その気運は理解できる。それだけだ。
参考文献
『皇妃ウージェニー 第二帝政の栄光と没落』 窪田般彌 白水Uブックス




