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君影草  作者: 惠美子
第二十四章 内憂外患
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 カフェ・プロコプに入るのは初めてだ。作りは古いが、店内は明るく心地良い。

「いらっしゃいませ」

 給仕が出てきて、俺を一見か、身なりからしてどのような懐具合の客かとさっと見て取った。

「一服しながらのんびりと新聞を読もうと思っているのだが、テラスだと眩しいだろうか、中の方がいいだろうか」

「テラスで読物をなさるのには眩しいかも知れませんね」

「では中の席にしよう」

「こちらへどうぞ」

 給仕が案内してくれた席に着き、コーヒーを注文した。『フィガロ』ともう一紙適当に選んで拡げた。

 記事の伝達する内容は同じようなものだが、論調が少しずつ違う。判りやすく、そしてやはり記者の色が出ており、読み手によってはそれに染まってしまうだろうなと、文章をたどる。

 この店は、大革命の前後には政治ビラが置かれ、多くの思想家や革命家が顧客だった歴史がある。今でもジャーナリストや世相に敏感な法律家が出入りし、侃々諤々やり合っているという。労働者ではない、しかし、上流でもない知識階級の意見はどんなものだろうかと、興味がある。

「真面目くさって新聞をお読みのようだが、貴方は意見があるかね?」

 と、男が声を掛けてきた。

「メダイユの授与の件ですか?」

 と頭を上げて驚いた。酷い姿をしている。ボロを纏っているのではない。きちんとした誂えのシャツにジレ、ズボンに上着で、擦り切れているほど古くはない。しかし、着付け方が悪く、襟が曲がって、ブラシを掛けていないのか、パン屑らしき細かいゴミが胸元に付いている。スープをこぼしたのか、顎の髭部分が汚れている。髪も櫛を通していないような有様だ。こいつは家を出掛ける前に鏡を見ないのか? この店の装飾にも鏡が使われているのだから、少しは我が身を見たらいい。いや、着こなしや小物の組み合わせに凝る伊達男を鼻で笑う、弊衣破帽こそ男らしいと気取る奴は軍隊にもいた。巴里の上流紳士を俗物と看做して対抗する、反骨の類いか。

 不潔な恰好にばかり目が行って、やっと異相に気が付いた。この男、右の目の瞼が半ば閉じ、そこから覗く右目は白濁している。右目の視力が悪いのか、見えないのかのどちらかだろう。

 一通りの観察を終えて俺は、突然の指名に怯えたように当たり障りない返答をした。

「今回初めて参加した日本(ジャポン)は漆塗りの食器や養蚕でメダイユを受賞したそうですね。小さな公子が来仏している」

 隻眼の男はあからさまに期待外れの様子を見せた。

「いいや、万国博覧会以外のニュースであんたの意見を聞きたいんだ」

 初対面で二言目に“tu(あんた)”か。

「恐れ入りますが、どちら様で?」

 男は指摘されて、破顔した。

「ああ、済まん。あんた、新顔だな。俺はここの常連なんだ。この店の客にはついつい顔見知りのつもりなってしまうんだ。

 俺はレオン・ガンベッタ、弁護士だ」

 思わず目を見開いた。弁護士だって? 法曹界の人間なら、面会する依頼者に信任されるかは眼目の一つだろうに、こんなに身だしなみが汚くて大丈夫なのか? それにいきなり「あんた」呼ばわりされるほど、俺は格下に見えたのか。年齢は同じくらいか、相手の方が少し上のようだ。軍人の俺は体格的にガリア人に劣らないし、それほど貧相な服を着た覚えはない。

 不機嫌よりも、人見知りの容子を出していると、男は俺を和ませようとしているのか、また喋り出した。

「あんたの言葉の感じから巴里っ子ではない、ライン川の向こうから来たのか?」

 言葉の抑揚を聞き取っているのだから誤魔化さない。

「ええ、フランクフルトの向こうから」

 嘘は吐いていない。

 参考文献

『60戯画 世紀末パリ人物図鑑』 鹿島茂 中公文庫


 レオン・ガンベッタは隻眼です。『60戯画 世紀末パリ人物図鑑』では右目が白濁した肖像(ポンチ絵)が載せられています。また、フランス語版、英語版のウィキペディアでもレオン・ガンベッタは少年期に事故で右目を失明とありますので、それに従い描写しました。

 レオン・ガンベッタは第三共和政で活躍します。第二帝政時代で、帝政に反対する勢力があると登場させました。ここ以外の章で出す予定は、今のところありません。

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